舞殿 (鶴岡八幡宮下拝殿) 『吾妻鏡』によると・・・ 鶴岡八幡宮 の 舞殿 は、1193年(建久4年)2月7日に新造されました。 舞殿 のある場所は、 源義経 と 静御前 の伝説が残された場所。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1180年(治承4年)、 源頼朝 は源氏再興の 挙兵 を果たし、鎌倉を本拠と定め、10月6日(7日とも)に鎌倉入りしました。 鎌倉に入った頼朝が最初に行ったのが、先祖の 源頼義 が創建した 由比若宮 を現在地に遷座すること。 ※ 由比若宮 は頼義が京都の 石清水八幡宮 を神霊を迎えた社 10月12日に遷宮が行われましたが仮宮でした。 翌1181年(養和元年)7月20日には、その仮宮を建て直す上棟式が行われ、8月15日には新造の正殿に御神体が納められました。 新造の社殿は 若宮 と呼ばれ、大きな回廊があったそうです。 ※神霊を他所に分霊して祀った社を若宮と呼びます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 源義経と馬引き役 若宮 の上棟式での出来事。 頼朝 が大工たちに褒美の馬を与えます。 その馬を引く役を命じられたのが弟の 義経 。 義経は断りますが・・・ 激怒した頼朝に恐れをなした義経は二頭の馬を引いたのだそうです。 📎源義経と大工の馬事件 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 静の舞 それから5年後の1186年(文治2年)4月8日、 義経 の愛妾 静御前 が若宮の回廊で舞いました。 静御前 は、頼朝と不仲となり、謀反人として追われていた 義経 を慕う今様(歌謡)に合わせて舞ったのだといいます。 📎静の舞 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 源義経 と 静御前 の伝説が残された 若宮 とその回廊は、1191年(建久2年)3月4日の 鎌倉大火 で焼失してしまいます。 源頼朝 はすぐさま再建に取りかかり、 本宮 と 若宮 を造営し、現在のような上下両宮の姿となりました。 ※本宮の祭神の子を祀った社も若宮と呼ばれます。 舞殿 は、それから2年後に新造されました。 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆