(鶴岡八幡宮下拝殿)
『吾妻鏡』によると・・・
鶴岡八幡宮の舞殿は、1193年(建久4年)2月7日に新造されました。
舞殿のある場所は、源義経と静御前の伝説が残された場所。
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1180年(治承4年)、源頼朝は源氏再興の挙兵を果たし、鎌倉を本拠と定め、10月6日(7日とも)に鎌倉入りしました。
鎌倉に入った頼朝が最初に行ったのが、先祖の源頼義が創建した由比若宮を現在地に遷座すること。
※由比若宮は頼義が京都の石清水八幡宮を神霊を迎えた社
10月12日に遷宮が行われましたが仮宮でした。
翌1181年(養和元年)7月20日には、その仮宮を建て直す上棟式が行われ、8月15日には新造の正殿に御神体が納められました。
新造の社殿は若宮と呼ばれ、大きな回廊があったそうです。
※神霊を他所に分霊して祀った社を若宮と呼びます。
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源義経と馬引き役
若宮の上棟式での出来事。
頼朝が大工たちに褒美の馬を与えます。
その馬を引く役を命じられたのが弟の義経。
義経は断りますが・・・
激怒した頼朝に恐れをなした義経は二頭の馬を引いたのだそうです。
📎源義経と大工の馬事件
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静の舞
それから5年後の1186年(文治2年)4月8日、義経の愛妾静御前が若宮の回廊で舞いました。
静御前は、頼朝と不仲となり、謀反人として追われていた義経を慕う今様(歌謡)に合わせて舞ったのだといいます。
📎静の舞
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源義経と静御前の伝説が残された若宮とその回廊は、1191年(建久2年)3月4日の鎌倉大火で焼失してしまいます。
源頼朝はすぐさま再建に取りかかり、本宮と若宮を造営し、現在のような上下両宮の姿となりました。
※本宮の祭神の子を祀った社も若宮と呼ばれます。
舞殿は、それから2年後に新造されました。
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京都は七福神発祥の地
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