源頼朝と鎌倉武士と農業
源頼朝 の「武家の都創設」で頭に入れておかなければいけないことは・・・ 坂東武士が何を求めて 伊豆国 に流されていた 源頼朝 を担ぎ上げたのかということ。 それは「所領の安堵」。 所領とは「農地」。 農地は農業生産をする場所。 当時の武士は、大農場を経営する農場主。 所領を安堵してもらうということは、農場経営の安定に繋がっていきます。 「鎌倉に集まった武士」=「源頼朝に従った武士」は、 源頼朝 に奉仕する代わりに恩賞をもらい所領を安堵してもらいました。 流鏑馬 鶴岡八幡宮 の 流鏑馬 は、3つの的を射る弓馬術。 一の的から三の的の当たり外れは、早稲・中稲・晩稲の出来を占う意味もあったのだといいます。 佐助稲荷神社 源頼朝 に挙兵を勧めたのは、稲荷神だったといいます。 佐助稲荷神社 は、頼朝が 畠山重忠 に命じて建立させた神社と伝えられています。