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鎌倉:稲村ヶ崎のハマヒルガオ2015/05/14

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稲村ヶ崎 に咲くハマヒルガオ。 ・・・・・・・・・・・ 稲村ヶ崎 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136inamura.htm 鎌倉の海 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/umi.htm

源頼朝が祈願した守山八幡宮・・・伊豆の国市

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守山八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/nirayama-moriyamahatiman.htm 守山八幡宮 は、 源頼朝 が源氏再興を祈願した神社です。 源頼朝挙兵の碑 拝殿 本殿への石段

駆込み女と駆出し男・・・北鎌倉:東慶寺

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『駆込み女と駆出し男』が5月16日全国ロードショー。 駆け込み寺と呼ばれた尼寺・北鎌倉の 東慶寺 を舞台とした映画です。 原作は井上ひさしの時代小説『東慶寺花だより』。 東慶寺 は、八代執権の 北条時宗 の未亡人・ 覚山尼 が開いた臨済宗の寺。 正式名称は松岡山東慶総持禅寺。 五世に後醍醐天皇の皇女・ 用堂尼 が入山したことで「松ヶ岡御所」と呼ばれるようになりました。 二十世には、豊臣秀頼の娘・ 天秀尼 が入山します。 天秀尼は、徳川秀忠の娘・千姫の養女。 徳川家康の孫です。 天秀尼 は家康に「開山よりの縁切寺法が断たれることのないように」と願い出たといいます。 昔は女性の側から離婚をすることができませんでしたが、東慶寺に駆け込めば縁を切ることができました。 ただ、女性を救うことというのが建前であって、縁切りだけを目的としていたわけではありません。 東慶寺に駆け込んだ女性は「駆込み女」と呼ばれていたそうです。 駆込み女は門前にあった御用宿に引き渡され、事情を聴かれます。 御用宿での取り調べが終わると、寺飛脚が呼出状を持って夫の所へ駆け、家主や名主らとともに鎌倉に呼びつけられます。 駆けつけた夫方も御用宿に宿泊しますが、妻とは別の宿が用意されていました。 同じ宿だと大喧嘩になる可能性があるためです。 ※東慶寺門前には柏屋・仙台屋・松本屋という三軒の御用宿があったのだといいます。 御用宿で両者の言い分が聞き取られた後は、まず示談の話となります。 やり直すこととなる場合もあれば、夫が離縁状を提出する場合もあったようです。 しかし、示談とならかった場合はどうなるのか・・・ 「妻は離縁を望み、夫は離縁状を書かない」というときは、妻は東慶寺に入山することになります。 入山するといっても尼になるということではなかったようです。 2年間の奉公を終えると、夫は離縁状を書かなければなりませんでした。 そして、離婚がかなって東慶寺を出た女性は再婚することができました。 ただし、一度駆け込んで離婚した女性が再び駆け込んできても受け付けなかったそうです。 ・・・・・・・・・・・ 東慶寺

源頼朝が流された地・・・蛭ヶ小島:伊豆の国市

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源頼朝 は、1159年(平治元年)、 平治の乱 で初陣(13歳)。 父 義朝 とともに平清盛と戦いますが敗れてしまいます。 父義朝は尾張国で家臣の裏切に遭い殺害され、頼朝は捕えられて清盛のいる六波羅へ送られます。 源氏の正嫡であることから処刑を免れることはできない状況でしたが、清盛の継母池禅尼の懇請で命を助けられたと伝えられています。 平清盛 助命となった頼朝は、1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国流罪となります。 流されたのは 蛭ヶ小島 だったと伝えられています。 蛭ヶ島茶屋 梛の葉の縁結びの碑 伊豆に流された頼朝は、やがて 北条政子 と結婚。 2人を縁を結んでくれたのは、 伊豆山権現 だったのだといいます。 政子は、御神木の「梛の木」の葉を鏡の下に敷き、頼朝との愛を祈ったといわれています。 2人が見ているのは霊峰富士 守山から見た蛭ヶ小島方面 源頼朝 ・・・・・・・・・・・ 蛭ヶ小島 https://www.yoritomo-japan.com/hirugakojima.htm

髭切の太刀の伝説・・・一条戻橋と北野天満宮

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一条戻橋 源頼光の四天王の一人渡辺綱は、 戻橋 のたもとで、愛宕山の鬼女が化けた扇折小百合(おうぎおりさゆり)に出会います。 綱は水面に映った影で鬼女だとさとり、源氏重代の「髭切の太刀」(ひげきりのたち)で鬼女の片腕を切り落としました。 北野天満宮 鬼女の片腕を切り落としたのが 北野天満宮 の上空だったということで・・・ 北野天満宮 には綱が寄進したという燈籠が残されています。 渡辺綱が持っていた「髭切の太刀」は、のちに 源頼朝 が初陣の際に帯したものです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ついでに北野天満宮の境内を簡単に。 楼門 神牛 中門 国宝 本殿、石の間、拝殿、楽の間(合1棟)は国宝に指定されています。 手向山のカエデ 東大寺の鎮守手向山八幡宮から奉納された楓樹。 手向山八幡宮には「菅公腰掛石」が伝えられています。 梅鉢紋 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。