源頼朝は、1159年(平治元年)、平治の乱で初陣(13歳)。
父義朝とともに平清盛と戦いますが敗れてしまいます。
父義朝は尾張国で家臣の裏切に遭い殺害され、頼朝は捕えられて清盛のいる六波羅へ送られます。
源氏の正嫡であることから処刑を免れることはできない状況でしたが、清盛の継母池禅尼の懇請で命を助けられたと伝えられています。
平清盛
助命となった頼朝は、1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国流罪となります。
流されたのは蛭ヶ小島だったと伝えられています。
蛭ヶ島茶屋
梛の葉の縁結びの碑
伊豆に流された頼朝は、やがて北条政子と結婚。
2人を縁を結んでくれたのは、伊豆山権現だったのだといいます。
政子は、御神木の「梛の木」の葉を鏡の下に敷き、頼朝との愛を祈ったといわれています。
2人が見ているのは霊峰富士
守山から見た蛭ヶ小島方面
源頼朝
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