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ぼたもち供養(龍ノ口法難会)・・・藤沢:龍口寺

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9月12日の 龍口寺 は毎年大変な盛り上がり。 法要の後、難除けのぼたもちがまかれます。 ご難ぼたもち 万灯練行列 宝塔を造花で飾った万灯が練り歩きます。 この万灯は 日蓮 が亡くなるときに、庭の桜が季節はずれの花を咲かせたという故事にちなむものです。 龍口法難会

源頼朝が始めた流鏑馬・・・鶴岡八幡宮例大祭

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鶴岡八幡宮 の 流鏑馬 は、1187年(文治3年)に 源頼朝 が始めた神事。 流鏑馬 は、天下平定と五穀豊穣を祈願して始められた弓術が起源ともいわれ、 頼朝 亡き後も 鶴岡八幡宮 では 流鏑馬 が続けられてきました。 ただ、江戸時代頃になってくると次第に衰えてしまったようです。 その後、小笠原家の伝法や古記録に基づいて再現されたのが現在の 流鏑馬 だということです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鶴岡八幡宮例大祭 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatiman-reisai.htm 9月14日 浜降式 9月15日 神幸祭 9月16日 流鏑馬神事

鎌倉:夏の終わり・・・夏は冬にあこがれて・・・・

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鎌倉の海水浴シーズンも9月8日まで。 成就院からの景色 稲村ヶ崎 坂ノ下海岸 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 海

源義朝に仕えた渋谷金王丸・・・金王八幡宮:渋谷区

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平治の乱 で敗れ、東国へ落ち延びようとしていた 源義朝 主従八騎のうちの一人だったという渋谷金王丸。 金王丸は、 義朝 が尾張で長田忠致に暗殺されると、そのことを 常盤御前 に伝え、自分は出家して土佐坊と名乗り 義朝 の菩提を弔ったと伝えられています。 金王八幡宮 (渋谷区) 金王八幡宮 は、金王丸の祖父河崎基家が創建した神社。 当初は渋谷八幡宮と呼ばれていたそうですが、金王丸の名声によって金王八幡宮と改められたといいます。 金王丸御影堂 土佐坊昌俊邸跡碑 (鎌倉市) 1185年(文治元年)、 土佐坊昌俊 は、 源頼朝 の命により、京堀川の源義経邸を襲撃しました。 襲撃は失敗に終わり、 土佐坊昌俊 は六条河原で梟首されています。 この 土佐坊昌俊 が 義朝 の死後出家した金王丸なのだといいます。 金王八幡宮 には、 頼朝 が金王丸を偲んで植えたという「金王桜」が残されています。 早川城址 (綾瀬市) 早川城 は渋谷重国の居城。重国は 金王八幡宮 を創建した河崎基家の孫。 一説によると、金王丸は重国の子だともいいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

二の鳥居までの神輿渡御・・・鶴岡八幡宮例大祭:神幸祭

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9月15日は 鶴岡八幡宮 の例祭。午前10時から例祭の儀式が行われます。 ついで午後1時からは 神幸祭 。 上宮 の3基の神輿に祭神の応神天皇・比売神・神功皇后が遷され、大石段を担ぎおろされます。 そして、位冠単衣の神職が騎馬で先導し、御旅所の 二の鳥居 まで渡御します。 二の鳥居 の下では「御旅所祭」が執行され、「八乙女の舞」が奉仕されます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鶴岡八幡宮例大祭 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatiman-reisai.htm 9月14日 浜降式 9月15日 神幸祭 9月16日 流鏑馬神事

由比ヶ浜の禊ぎと海藻(カジメ)・・・鶴岡八幡宮例大祭:浜降式

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鶴岡八幡宮 の 例大祭 は、9月14日の早朝の 「浜降式」 から始まります。 由比ヶ浜 では禊ぎの儀式が執り行われます。 神事の後、祭人たちは海に入って身を清めます。 海に入って採られた海藻 この海藻は、 鶴岡八幡宮 に持ち帰られ、社頭に掲げられます。 ・・・・・・・・・・・ 鶴岡八幡宮例大祭 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatiman-reisai.htm 9月15日 神幸祭 9月16日 流鏑馬神事

2013龍口寺の龍の口法難会(ぼたもち供養)

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1271年(文永8年)9月12日、幕府に捕らえられた 日蓮 は、 龍ノ口の刑場 へ引き連れられ、斬罪に処せられそうになりました( 龍ノ口法難 )。 龍口寺 は、 龍ノ口法難 の旧跡に建てられた寺です。 龍口寺 の 龍口法難会 は9月11日から。 12日の深夜(13日午前0時)、「ぼたもち供養音楽大法要」が行われ、「難除けぼたもち」がまかれます。 日蓮 が龍ノ口に護送されていく途中、一人の老婆が現れ、 日蓮 に「にぎり飯」を差し出します。 ところが、 日蓮 は疲れと空腹で手がふるえ「にぎり飯」を落としてしまいます。 「にぎり飯」は砂にまみれ、ごまをまぶしたようになってしまいました。 しかし、 日蓮 はそれを「ごまぼたもちじゃ」といって喜んで食べたといいます。 その後、 日蓮 は奇跡的に斬罪を免れ、佐渡流罪となりました。 龍口寺 の「ぼたもち供養」は、このような故事から行われているものです。 龍口法難会