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2013道寸祭り(予定)・・・三浦氏最後の当主三浦義同

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平成25年5月26日(日)、油壺の荒井浜海岸で「道寸祭り」が行われます。 三浦道寸は、 源頼朝 の御家人となった 三浦氏 の末裔で、戦国時代に北条早雲と戦った武将。 伊豆の 韮山城 と相模の 小田原城 を拠点としていた北条早雲は、1512年(永正9年)、三浦道寸の 岡崎城 を攻めます。 このため、道寸は、弟道香が守る 住吉城 に退却しました。 住吉城 で抵抗をした道寸でしたが、さらに 新井城 へ退却することとなります。 このとき弟の道香が戦死しています(参考: 逗子延命寺 )。 この年、早雲は、鎌倉に三浦攻略のための 玉縄城 を築いています。 新井城 に籠城した道寸は、早雲の攻撃を3年にわたって耐えましたが、1516年(永正13年)、ついに落城し、家臣ともども討死しました。 「道寸祭り」では、「笠懸」(かさがけ)が披露され、「新井城址」が一般公開されます。 新井城址 油壷湾 ・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉手帳

2013イワガラミの特別公開(予定)・・・鎌倉:東慶寺

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東慶寺 の 本堂 背後の岩肌に咲く 「イワガラミ」 。 毎年「特別公開」が行われています。 今年の公開は、 6月1日(土)~13日(木) の予定。 (※6月6日(木)は除かれます。) 平日 は、 11:00~12:00   と  13:00~14:00   の2回公開。 土日 は、 9:00~10:00 の1回のみ。 ★ この季節の 東慶寺 では、 アジサイ ・ イワタバコ ・ ハナショウブ も楽しめると思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★イワガラミとイワタバコ・・・鎌倉:東慶寺2013/06/04 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉のアジサイ 鎌倉手帳

禅僧と茶・・・栄西・明恵・円爾

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わが国の臨済宗開祖の 栄西 は、宋から茶の種を持ち帰りました。 その茶の種がいつ持ち帰られたものなのかは判りませんが、おそらく2回目の渡宋から帰国した1191年(建久2年)のことなのでしょう。 ~岩上茶~ 持ち帰った茶の種は、筑前(佐賀県)の脊振山にある霊仙寺に蒔かれ、これが「岩上茶」の起こりとなったと伝えられています。 ~宇治茶~ 栂尾 高山寺 の明恵は、 栄西 から茶の種5粒を譲り受け、 高山寺 の境内に蒔き、それを宇治に移植して茶の栽培を行ったといいます。 これが「宇治茶」の起こりと伝えられています。 伝説では、宇治の里人たちが、どれくらいの間隔で茶の木を植えればいいのか困っていると、明恵は畑に馬を乗り入れ、「馬の蹄の跡に植えるように」と教えたといいます(参考:宇治 萬福寺 )。 栄西 が開いた京都 建仁寺 栄西 は 建仁寺 の境内でも茶を栽培していたといいます。 ~静岡茶~ 京都の 東福寺 の開山に迎えられた円爾(えんに)は、宋の杭州径山から茶の種を持ち帰り、郷里の駿河国に伝えたことで知られています。 静岡市の「お茶の日」は、円爾の誕生日である11月1日に定められています。 円爾が開いた京都 東福寺 円爾は 壽福寺 の 退耕行勇 を師としていました。 ~喫茶養生記~ 栄西 が茶の効用が著した 『喫茶養生記』 は、わが国最古の茶書。 源実朝 にも献上されたと伝えられています。 ~建長寺の茶筅供養~ 茶筅供養 建長寺 では5月28日に 「茶筅供養」 が行われ、使い古した茶筅を焚きあげて供養します。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

推薦書の取り下げ・・・「武家の古都・鎌倉」

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世界文化遺産への登録を目指してる 「武家の古都・鎌倉」 。 イコモスからは「不記載」(不登録)との勧告通知を受けているところですが、昨年提出した「推薦書」を取り下げる方向で事務が進められていることが明らかとなったようです。 来月行われる第37回世界遺産委員会で同じく「不記載」となると、原則として再推薦はできなくなることから、推薦書を取り下げて、もう一度やり直すということなのでしょう。 月末には最終決定をする予定のようです。 候補地の一つだった 「まんだら堂やぐら群」 ※5月8日には、文化庁長官も「推薦書を取り下げて・・・」と示唆しているという報道がありました。 世界文化遺産候補21の史跡 鎌倉手帳

新田義貞の鎌倉攻めと宝戒寺の徳崇大権現会

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1333年(元弘3年)5月7日、 足利尊氏 が京都で 六波羅探題 を攻め滅ぼすと、翌5月8日には新田義貞が挙兵し鎌倉に迫ります。 新田義貞による鎌倉攻めは5月18日から始まりました。 義貞は、 巨福呂坂 、 仮粧坂 、 極楽寺切通 の三方から鎌倉を攻めたといいます。 洲崎古戦場跡の碑 各地で激戦が繰り広げられますが、5月22日、新田軍は 稲村ヶ崎 を突破し、鎌倉へ攻め入りました。 稲村ヶ崎 伝説では、新田義貞が黄金の太刀をを海に投げ入れ龍神に祈ったことにより潮が引いて 稲村ヶ崎 を突破したということですが・・・ 新田軍の 大舘宗氏 は、これより先に 由比ヶ浜 に注ぐ 稲瀬川 で討死しているようですので、どこの戦場においても、新田軍が鎌倉へ入ったり退いたりという具合だったかもしれません。 七里ヶ浜 七里ヶ浜 にも新田義貞の古戦場が残されています。 小動岬の東側に残された 「十間坂」 は、鎌倉攻めが始められたときに火をかけられました。 江ノ電 の 鎌倉高校前駅 から鎌倉高校正門へと続く 「日坂」 は、かつて「新田坂」と呼ばれ、新田軍が下った坂だといわれています。 東勝寺跡 新田軍が 稲村ヶ崎 を突破したことによって、 北条高時 をはじめとする北条一族は、 東勝寺 に退きます。 おそらく、 巨福呂坂 、 仮粧坂 、 極楽寺切通 なども破られ、新田軍が攻めてきたことでしょう。 高時 ら北条一族が 東勝寺 で自刃したことによって鎌倉幕府は滅亡しました。 最後の執権となった赤橋(北条)守時は 洲崎 で討死。 最後の将軍となった守邦親王は出家。 徳崇大権現会 北条執権館 があった場所という 宝戒寺 では、毎年5月22日に北条一族を供養するための 「徳崇大権現会」 が行われます。 普段は 徳崇権現堂 に安置されている北条高時像が 本堂 へ移され、「大般若経転読会」が行われます。 鎌倉幕府の滅亡

鎌倉:由比ヶ浜のハマヒルガオ2013/05/19

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由比ヶ浜 のハマヒルガオ。 ここは、 稲瀬川の碑 の近くです。 鎌倉の海 鎌倉手帳

2013初夏のまんだら堂やぐら群(臨時公開)

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鎌倉七口 の一つ 名越切通 にある 「まんだら堂やぐら群」 。 名越切通 とともに国の史跡に指定されています。 展望台からは海が見えます。 臨時公開は5月26日(日)まで(午前10:00~午後4:00)。 (平日は公開されていません。) より大きな地図で まんだら堂やぐら群 を表示 JR逗子駅 から・・・亀が岡団地循環バス(6番乗り場) 「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分 または 「亀が岡団地北」下車徒歩5分 JR鎌倉駅 から・・・緑ヶ丘入口行バス(3番乗り場) 「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分 世界文化遺産候補21の史跡 鎌倉手帳