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鶴岡八幡宮参道段葛のツツジ2013/04/25

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鶴岡八幡宮 の参道 段葛 の ツツジ 。 世界文化遺産候補21の史跡 鎌倉のツツジ 鎌倉手帳

鎌倉:妙本寺のシャガ2013/04/25

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妙本寺 の シャガ 。 祖師堂前 祖師堂前 鐘楼下 鎌倉のシャガ 鎌倉手帳

鎌倉:長谷寺のフジ2013/04/25

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長谷寺 の フジ 。 妙智池畔 阿弥陀堂前 観音堂前 写経堂前 鎌倉のフジ 鎌倉手帳

鎌倉:安国論寺のツツジ2013/04/25

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 1 ・・・・・・・・・・・ 鎌倉GW特集 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/gw-kamakura.html

鎌倉:最古といわれる歴史遺産

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鎌倉最古の神社・・・ 甘縄神明神社 甘縄神明神社 は710年(和銅3年)の創建と伝えられています。 源頼義 ・ 義家 父子、 源頼朝 ゆかりの神社。 北条時宗 の産湯湯の井戸が残されています。 鎌倉最古の寺・・・ 杉本寺 杉本寺 は、734年(天平6年)の創建と伝えられています。 坂東観音巡礼 第一番札所。 鎌倉最古の厄除け神社・・・ 八雲神社 (大町) 八雲神社 は、奥州に赴く途中の 新羅三郎義光 が 祇園八坂社 の祭神を勧請したのが始まりと伝えられています。 日本最古の築港・・・ 和賀江嶋 和賀江嶋 は、1232年(貞永元年)、往阿弥陀仏によって築かれました。 我が国に現存する最古の築港です。 日本最古の伽藍神像・・・ 建長寺 建長寺 の 仏殿 に安置されている伽藍神像は、1253年(建長5年)の創建当時か、1293年(永仁元年)の大地震後のものと考えられています。 五躰が揃っているものとしては日本最古で、国の重要文化財です。 鎌倉最古の石塔・・・ 安養院 安養院 の 良弁尊観の宝篋印塔 は、1308年(徳治3年)の銘がある塔で国の重要文化財です。 鎌倉最古の建築物・・・ 荏柄天神社本殿 荏柄天神社 は1104年(長治元年)の創建と伝えられています。 本殿 は1316年(正和5年)の建築物で国の重要文化財。 鶴岡八幡宮 の 若宮 の本殿が移築されたものと伝えられています。 日本最古の唐様建築物・・・ 舎利殿 円覚寺 の 舎利殿 は室町時代中期(15世紀)頃の建築物と推定され、国宝に指定されています。 もとは 太平寺 の仏殿でしたが、1573年(天正元年)に移築されました。 鶴岡八幡宮最古の建築物・・・ 丸山稲荷社 丸山稲荷社 は 鶴岡八幡宮 創建以前からある神社。 社殿は室町中期頃の建造物といわれ、国の重要文化財です。 鎌倉最大最古のの庚申塔・・・ 八雲神社 山ノ内 八雲神社 の 庚申塔 は「寛文五年」(1665年)の銘があるもので鎌倉市の有形民俗資料です。 こ

鎌倉のGW2013・・・海を散策

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鎌倉の海を散策 ★由比ヶ浜海岸 稲瀬川 河口から 滑川 河口までの海岸。 ★坂ノ下海岸 稲瀬川 から 霊山ヶ崎(稲村ヶ崎) までの海岸。 ★材木座海岸 飯島岬から 滑川 の河口までの海岸。 飯島岬には 世界文化遺産候補 の 和賀江嶋 があります。 ★七里ヶ浜海岸 稲村ヶ崎 から小動岬までの海岸。 「日本の渚100選」。 稲村ヶ崎 からの展望は 「かながわの景勝50選」 。 江ノ電 からの景色も人気です。 ★腰越海岸 江ノ島 と小動岬の間の海岸。 腰越は 源義経 ゆかりの地。 世界文化遺産候補21の史跡 鎌倉手帳

富士裾野の巻狩と曾我兄弟の仇討ち・・・

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『吾妻鏡』によれば・・・ 1193年(建久4年)5月8日 、 源頼朝 は「富士裾野の巻狩」のため鎌倉を発ちます。 従った御家人は・・・ 北条義時、足利義兼、山名義範、小山朝政、小山宗政、結城朝光、里見義成、佐貫廣綱、畠山重忠、三浦義澄、三浦義村、千葉胤正、三浦義連、下河邊行平、稲毛重成、和田義盛、榛谷重朝、阿曽沼廣綱、工藤祐経、土屋義淸、梶原景時、梶原景季、梶原景高、梶原景茂、梶原朝景、梶原景定、糟谷有季、岡部三郎、土岐三郎、宍戸家政、波多野義景、河村義秀、加藤太光員、加藤次景廉、愛甲季隆、海野幸氏、藤澤淸親、望月重隆、小野寺道綱、市河行房、沼田太郎、工藤景光、工藤行光、祢津宗直、中野助光、佐々木盛綱、佐々木義淸、澁谷重國、小笠原長淸、武田信光など。 他にも射手が多数集まり数え切れなかったといいます。 曽我の里から見える富士 5月15日 、富士裾野に到着。 頼朝 には南向きの五間の仮屋が建てられ、御家人の宿舎も同じように軒を並べて建てられました。 この日は、殺生禁断の日であったため終日宴会。 5月16日 、 頼朝 の嫡男 頼家 が 愛甲季隆 の指示により初めて鹿を射とめます。 頼朝 は大いに喜び、狩りを打ち上げにして「矢口祭」(やぐちのまつり)が行われました。 「矢口祭」は、狩りのはじめのときなどに三色の餅を供えて山の神を祭り射手を饗応することで、 北条義時 が黒・赤・白の三色の餅を献上しています。 愛甲季隆の五輪塔 ( 宝積寺 ・厚木市) 愛甲季隆の宝篋印塔 (円光寺・厚木市) 愛甲季隆館址 宝積寺 5月22日 、 頼家 が鹿を射とめたことを鎌倉の 北条政子 に知らせるために使者となった梶原景高が戻ってきます。 景高は勇んで 政子 に報告しましたが・・・ 「武将の嫡子が原野の鹿や鳥を獲るのは珍しいことではない。 安易に使いをよこすのは、かえって煩わしいだけだ」 と言われたのだそうです。 5月27日 、狩りの最中に大鹿が現れます。 弓の名手といわれる工藤景光がこの大鹿を狙って矢を放ちますが当たりません。 二の矢、三の矢も外しました。 この時景光は・・・ 「十一歳の頃から狩猟の技を自慢としていました。 七十余