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春の稲村ヶ崎2012/03/24

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歩くのに最適な季節となりました。特に海沿いは・・・。 江の島 方面に車は渋滞です。 鳥さんも歩いてます。 菜の花と 江ノ電 ( 稲村ヶ崎駅 付近) 稲村ヶ崎 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136inamura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

神苑ぼたん庭園の「春ぼたん」~鶴岡八幡宮~2012/03/24

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鶴岡八幡宮 の 神苑ぼたん庭園 の「春ぼたん」が見頃です。 もうすぐ桜の季節。 「桜」 と 「ぼたん」 の競演を観ることができるのも間近です(参考: 源氏池の桜 )。 源氏池 の島では、桜が。 サンシュの花も。 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

旗上弁財天社の河津桜~鶴岡八幡宮~2012/03/24

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鶴岡八幡宮 の 源氏池 の島にある 旗上弁財天社 では、 河津桜 が満開です。 隣の 大島桜 。 こちらは、まだ咲き始めです。 太鼓橋 の早咲き桜も咲き始めました。 段葛 では、 玉縄桜 が見頃です。 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm 鎌倉の河津桜 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/kawaduzakura-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鎌倉:宝戒寺の枝垂れ梅と思いのまま2012/03/24

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ようやく 宝戒寺 の枝垂れ梅が見頃です。 本堂前の枝垂れ梅 本堂前の枝垂れ梅の古木は、昨年秋の台風の被害受けて、表側にはあまり花を咲かせていませんが、直接の風を受けなかった裏側はよく咲いています。 他にも白とピンクの枝垂れ梅が満開です。 そして、紅白咲き乱れの「思いのまま」。 鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

平氏の滅亡・・・吾妻鏡に記された壇ノ浦の戦い

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『吾妻鏡』によれば・・・ 1185年(元暦2年)3月8日、四国を任されていた 源義経 からの伝令が鎌倉の 頼朝 のもとに到着し、屋島の戦いの勝報を伝えます。 一方、九州を任された 源範頼 からは、その翌日に伝令が到着し、兵粮の徴収に苦労している上、 和田義盛 、大多和義久、工藤祐経などが帰参を欲していることなどが伝えられています。 義経 と 範頼 の報告とでは大きな差がありますが、 頼朝 は3月11日、統制のとれない 範頼 に対して激励の返書を送っています。 さらに、 千葉常胤 、 北条義時 、小山朝政、小山宗政、中原親能、 葛西清重 、加藤景廉、工藤祐経、宇佐見祐茂、天野遠景、仁田忠常、比企朝宗、比企能員に対しても書状をしたためています。 源義経 屋島の戦い後、周防国に到着した 義経 は、3月21日、平氏を攻めるため壇ノ浦を目指そうと準備を進めていましたが、激しい雨のために延期しています。 そこへ周防国の在庁官人で船奉行の任にあった船所五郎正利が、数十艘の船を率いて 義経 のもとを訪れます。 義経 は、正利に「鎌倉殿の御家人たるべし」との書状を与えたといいます(これは 頼朝 に対する越権行為なのでしょう・・・)。 3月22日、 義経 は壇ノ浦を目指して出航します。 それを聞きつけた 三浦義澄 が周防国の大島の津までやって来ました。 義経 は、 義澄 の案内で船を進め、平氏の陣営から30余町(約3㎞)あまりの壇ノ浦の奥津に布陣します( 三浦氏 は、東国の武士としては珍しい水軍を持つ御家人でした。)。 一方の平氏は、田浦付近に集結します。 そして・・・ 3月24日卯の刻(午前6時頃)、源平両軍が3町(300m)を隔て対峙し、最後の合戦が始まります。 合戦が開始された時刻は定かではありませんが、午の刻(正午頃)には平氏の敗北に終わったといいます。 敗戦を悟った平氏は、次々に海に身を投げます。 二位尼(平時子:平清盛の妻)は、三種の神器の一つ宝剣を持ち、按察局(あぜのつぼね)は、安徳帝を抱えて海へ飛び込みます。 続いて建礼門院(平清盛の娘徳子)が海へ飛び込みます。 (※建礼門院は、源五右馬允(げんごうまのじょう)によって助けられています。安徳帝を抱いて海へ身を投げた按察局も同

鎌倉まつり・・・武田流流鏑馬:鶴岡八幡宮

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毎年4月に開催される 「鎌倉まつり」 の最終日、 鶴岡八幡宮 の 流鏑馬馬場 では、武田流の 「流鏑馬」 が奉納されます。 社団法人大日本弓馬会 の皆さんによる奉納です。 ※午後1:00から。 ~鏑矢奉献と願文奏上の儀~ =  舞殿  = 奉行と射手が 舞殿 に昇殿し儀式が執り行われます。諸役は 舞殿 の前に並びます。 ~天長地久の儀~ 「天長地久」とは ・・・天地が永久であるかのように物事がいつまでも続くこと。 天下泰平、五穀豊穣、万民救済を祈念する儀式です。 左に3回、右に2回、馬を乗り回し、天と地に対し満月に弓を絞ります。 天に・・・ 地に・・・ ~馬場入り~ ~ 騎  射 ~ 的を射ない足慣らしのための 素馳 (すばせ)が行われてから、的を狙う「奉射」と「競射」が行われます。 素馳 狙う的は三種類! 式の的(三重丸の的)・板小的・土器三寸の的 式の的 初めは三重丸が描かれた式の的が馬場に建てられます。 板小的 次の的は板の的。 命中したときに木が裂ける音がいい音です 奉射 式の的と板小的への「奉射」が数回行われた後、「競射」が行われます。 「競射」は「奉射」を行った射手の中から成績の良かった者が選ばれて行われます。 土器三寸の的 競射に用いられるのは「土器三寸の的」です。 土器を二枚を合わせて、中に五色の切り紙を入れて張り合わせたもので、 命中すると土器が砕け花吹雪のようになります。 土器三寸の的に命中した瞬間 騎射の後は 鎧陣(がいじん)の儀 が執り行われます。 第一の的の前には・・・ 「静桜」   が植えられています。 静御前の聖地の一つ福島県郡山市から植樹されました。 「鎌倉まつり」 初日には 舞殿 で 「静の舞」 を観ることができます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆