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鎌倉幕府滅亡の古戦場~山崎と上町屋の散策~

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山崎と上町屋は、古くは「洲崎」と呼ばれていたところのようです。 1333年(元寇3年)、鎌倉幕府を滅ぼそうと鎌倉を攻める新田義貞軍と、鎌倉を守ろうとする鎌倉幕府最後の執権赤橋守時軍が激戦を交えたのが洲崎です。 天神下の交差点 山崎を散策するには、この交差点を起点にするとわかりやすいかもしれません。 近くには湘南モノレール「富士見町駅」があります。 妙法寺 https://www.yoritomo-japan.com/page140myohoji.htm 天神下の交差点から天神山の北を進むと日蓮宗の 妙法寺 です。 もとは山梨県にあった寺で廃寺となっていましたが、昭和3年に日宝上人によって山崎の地に再建されました。 妙法寺 の南には、戦前まで鉱泉旅館があって、「源頼朝のかくし湯」と呼ばれていたそうです。 妙法寺 から天神下交差点方面に戻ります。 この庚申塔を右に曲がると 北野神社(山崎天神) です。 北野神社 https://www.yoritomo-japan.com/page140kitanojinjya.htm 北野神社 は、 夢窓疎石 が京都の 北野天満宮 を勧請したといわれています。 「山崎天神」とも呼ばれ、江戸時代には洲崎神社とも呼ばれていたそうです。 背後の天神山は戦国時代の城跡です。 北野神社 から東に進むと山崎の交差点です。 この辺りには、 夢窓疎石 によって建立された宝積寺があったといいます。 北野神社 の本地仏といわれる「十一面観音」が安置されていたそうですが、現在は、 昌清院 に移されています。 山崎交差点のローソンの横の道を進むと、間もなく右側に「従是江のし満道」と刻まれた道標があります。 山崎天神 を修理したという梅沢尋庸という人が、1811年(文化8年)に建てたものです。 この道は、江戸からの 江の島 詣の旅人が通った古道になります。 昔は、小袋谷から台( 神明神社 横)を抜けて、この道標の前を通って、山を越えて、上町屋( 泉光院 )・手広( 青蓮院 )を通って、 江の島 に向かったと考えられています。 参考: 江の島道(手広~津~腰越~片瀬) 山崎の集会所(十王堂跡) 十王堂

台と小袋谷の散策

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JR横須賀線の北鎌倉駅から、大船方面に進んで5分程度で「台」になります。 JR横須賀線沿いの八幡神社周辺から山崎の方へ続く集落です。 そして、JR横須賀線沿いに大船駅と北鎌倉駅の中間辺りに細長くのびる集落が小袋谷です。 八幡神社 https://www.yoritomo-japan.com/page138hatiman.htm JR横須賀線「北鎌倉駅」から線路沿いに大船方面に歩くと、台の鎮守 八幡神社 があります。 地元の人たちは「小八幡さま」と呼んでいるそうです。 八幡神社 の周辺は「市場」とも呼ばれています。 昔、紅花の定期市が開かれていた所だからといわれています。 八幡神社 からJR横須賀線の踏切を渡って山ノ内道に出ます。 そして、大船方面に向うとすぐに左に入る路地があります。 狭い鎌倉らしい裏道です。 たしか、アジサイの季節にはきれいな花が並んでいたと記憶しています。 この道を進むと時宗(じしゅう)の 光照寺 があります。 光照寺   https://www.yoritomo-japan.com/page138koshoji.htm 光照寺 は、山門にクルスの紋を掲げていることで知られている時宗(じしゅう)の寺です。 この辺りは、 北条時宗 に鎌倉入りを阻止された一遍の法難霊場ともいわれています(参考: 一遍上人地蔵堂跡 (藤沢:片瀬))。 光照寺 からは切通を上ります。 上りきって真っ直ぐ進む道は、昔ながらの村道です。 その村道から、さらにこの村道を上っていくと 稲荷神社 です。 稲荷神社 台上町の鎮守です。 https://www.yoritomo-japan.com/page138inari.htm こんな猿の像があります。 何姿のお猿さんでしょうか・・・? 稲荷神社 の本殿前からは 円覚寺 塔頭 雲頂庵 や 八雲神社 を臨むことができます。 稲荷神社 の背後は、鎌倉の三大緑地の一つ 「台峯」 です。 地蔵堂跡 稲荷神社 の本地仏が安置された地蔵堂があった所といわれています。 現在は、台の公会堂になっています。 安置されていた地蔵像は二体で、