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山ノ内道の散策(巨福呂坂~光照寺)

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鎌倉から山ノ内へ行くには、 鶴岡八幡宮 の西側の尾根を越える 巨福呂坂 が利用されていました。 現在の小袋坂は、明治になって開かれた道です。 巨福呂坂への入口 鶴岡八幡宮 の 馬場小路 から入ります。 車のお祓い場の向かいの路地になります。 青梅聖天 巨福呂坂の入口に祀られている青梅聖天。 https://www.yoritomo-japan.com/page041kobukuro.htm 青梅聖天の下の庚申塔 巨福呂坂 これが 巨福呂坂 ですが、じきに行き止まりになってしまいます。 巨福呂坂 は、 鎌倉七口 の一つで、 三代執権 北条泰時 によって整備されたと伝えられています。 https://www.yoritomo-japan.com/page041kobukuro.htm 現在の山ノ内への道(小袋坂) 明治に入って新たに開かれた道です。 巨福呂坂洞門 小袋坂に設けられた落石防止施設です。 この上の崖上が 巨福呂坂 でした。 現在の 巨福呂坂 は、道があるような、ないような、という状態で大変危険です。 洞門前の空き地に入るとこんな道もあります。 この道は 巨福呂坂 に通じています。 圓應寺 洞門を過ぎて下り始めると、すぐに閻魔大王の寺があります。 建長寺の塔頭 です。 巨福呂坂 は、 圓應寺 を通って 建長寺 へと通じていました。 https://www.yoritomo-japan.com/page138ennouji.htm 建長寺 臨済宗建長寺派 大本山、 鎌倉五山 第一位。 五代執権 北条時頼 が、 宋の 蘭渓道隆 を招いて開かれた日本初の禅専門道場です。 https://www.yoritomo-japan.com/page138kentyoji.htm 禅居院 建長寺塔 頭。清拙正澄の塔所。 禅居院は勝手に拝観できませんが、裏山は 巨福呂坂 にも通じ、 多宝寺 長老の覚賢塔や 浄光明寺 にも通じています。 https://www.yoritomo-japan.com/tera-kentyotatyyu-zenkyoin.htm 金龍水 建長寺 の天下門(西外門)前のポスト辺りにあった井戸が、 鎌倉五名水 の一つ 「金龍水」 といわれています。

葛原岡神社参道(北鎌倉駅~瓜ヶ谷~葛原ヶ岡)

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北鎌倉駅から 葛原岡神社 への道です。 葛原岡神社 への参道は、たくさんあるのでしょうが、その一つです。 北鎌倉駅 JR横須賀線「北鎌倉駅」は、昭和2年に夏場だけの駅として設置されます。 そして、昭和5年から本格的な駅として営業を開始しました。 小津安二郎の映画「麦秋」の舞台にもなりました。 関東の駅100選に選ばれています。 駅前の派出所 右側の細い道は、鎌倉らしい路地となっています。 派出所から入るとこんな感じです。 おちゃぶきさま 「おちゃぶきさま」と呼ばれている石塔です。 近くにある時宗の 光照寺 には、「おしゃぶきさま」が祀られていますが、何らかの関係があるのでしょうか・・・。 山中稲荷社 台輪のある明神鳥居です。 台輪のある鳥居は稲荷社に多く「稲荷鳥居」とも呼ばれているそうです。 この辺りは 時宗 開祖の一遍が鎌倉入りをしようとして阻止された法難霊場です。 「一遍聖絵」に描かれているのが山中稲荷社周辺かともいわれています。 山ノ内道 (鎌倉街道)からも鳥居が見えます。 山中稲荷社を過ぎると少し大きな通りです。 葛原岡神社 参道へ繋がる道です。 山ノ内道 (鎌倉街道)からの入口はこんな景色です。 稲の天日干し 東瓜ヶ谷・西瓜ヶ谷周辺には、まだ棚田が残っています。 今はほとんど機械で乾燥してしまいますが、本当は自然のパワーで乾燥させるのがいいのでしょうね。 コメの味は品種もありますが、育て方、収穫後の乾燥調製の方法だと思います。 そして、炊き方ですよね。 川沿いを山の方向へ歩きます。 秋の景色 葛原岡神社参道 細い道から広い道となって、上り坂となります。 その入口に道標があります。 「 葛原岡神社 参道」と刻まれています。 ご近所の方の話では、昔は、この辺りは山道で、崩れたり崩されたりしてなくなってしまったのだそうです。 昔の参道はどのような道だったのでしょうか・・・ きれいに整備された舗装道を上っていくと、左斜めに下る道があります。 この道です。 突然すばらしい景色です。 手前が畑で上が棚田になっています。この右端に道があります。 そして、棚田を周回