別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年11月15日月曜日

山ノ内道の散策(巨福呂坂~光照寺)

鎌倉から山ノ内へ行くには、鶴岡八幡宮の西側の尾根を越える巨福呂坂が利用されていました。
現在の小袋坂は、明治になって開かれた道です。


巨福呂坂への入口
鶴岡八幡宮馬場小路から入ります。
車のお祓い場の向かいの路地になります。

青梅聖天
巨福呂坂の入口に祀られている青梅聖天。
https://www.yoritomo-japan.com/page041kobukuro.htm

青梅聖天の下の庚申塔

巨福呂坂
これが巨福呂坂ですが、じきに行き止まりになってしまいます。
巨福呂坂は、鎌倉七口の一つで、
三代執権北条泰時によって整備されたと伝えられています。

現在の山ノ内への道(小袋坂)
明治に入って新たに開かれた道です。

巨福呂坂洞門
小袋坂に設けられた落石防止施設です。
この上の崖上が巨福呂坂でした。
現在の巨福呂坂は、道があるような、ないような、という状態で大変危険です。

洞門前の空き地に入るとこんな道もあります。
この道は巨福呂坂に通じています。

圓應寺
洞門を過ぎて下り始めると、すぐに閻魔大王の寺があります。
巨福呂坂は、圓應寺を通って建長寺へと通じていました。

建長寺
臨済宗建長寺派大本山、鎌倉五山第一位。
五代執権北条時頼が、
宋の蘭渓道隆を招いて開かれた日本初の禅専門道場です。

禅居院
建長寺塔頭。清拙正澄の塔所。
禅居院は勝手に拝観できませんが、裏山は巨福呂坂にも通じ、
多宝寺長老の覚賢塔や浄光明寺にも通じています。

金龍水
建長寺の天下門(西外門)前のポスト辺りにあった井戸が、
鎌倉五名水の一つ「金龍水」といわれています。

第六天社
山ノ内上町の氏神社、建長寺の鎮守神とされています。
鳥居の後ろに安倍晴明の石碑が建てられています。

亀ヶ谷坂
長寿寺の横の道が鎌倉七口の一つ亀ヶ谷坂の入口です。
亀もひっくり返るほどの急坂であったことから付けられた名だということです。
ここから上り坂を進んで、
頂上から亀もひっくり返るような急坂を下っていくと亀ヶ谷です。
山ノ内(長寿寺)と亀ヶ谷(薬王寺岩船地蔵堂)を結ぶ切通です。
※亀ヶ谷→現在の扇ヶ(ガ)谷


長寿寺
足利尊氏の邸跡に建てられた尊氏の菩提寺です。
境内の尊氏の遺髪を埋めたとされる「やぐら」には五輪塔が建てられています。

華蔵院
長寿寺の門前、山ノ内道を挟んで反対側の路地は、
建長寺の塔頭の華蔵院の入口です。
現在は、個人敷地内ですので立ち入り禁止です。
https://www.yoritomo-japan.com/tera-kentyotatyyu-kezoin.htm



安国寺の跡
足利尊氏は、元弘の乱以来の戦没者を弔うために、
全国66ヶ国と2島に安国寺と利生塔を建てました。
相模国の安国寺は山ノ内の長寿寺前だったと伝えられています。

山ノ内道沿いの稲荷社
JR横須賀線の踏切近くにある稲荷社です。

安倍晴明の石碑
JR横須賀線の近くにある石碑です。

山内上杉東管領屋敷跡
JR横須賀線が走っているこの辺りは、
山内上杉家の屋敷だったと考えられます。
明月院の参道を挟んで東と西に管領屋敷があったようです。

明月院の入口
JR横須賀線の踏切手前を右に入ると明月院の入口です。
「明月通り」と呼ばれているようです。

明月院の参道
小川沿いをいく明月院の参道は古都の香りがします。

葉祥明美術館

明月院
山ノ内經俊が平治の乱で死んだ父首藤俊道の菩提を弔うため、
1160年(永暦元年)に建てた「明月庵」が起源とされている寺です。
その後、北条時頼の最明寺が建てられ、北条時宗によって禅興寺が起こされされました。
禅興寺は明治に廃寺となりますが、支院の明月院だけは残りました。
「紫陽花寺」として知られている寺です。


北条時頼の墓、上杉憲方の「明月院やぐら」鎌倉十井の一つ「瓶ノ井」があります。
https://www.yoritomo-japan.com/page138meigetuin.htm

浄智寺
おそらくこの入口の反対、山ノ内道の向こう側は、
明月院通りだったのではないでしょうか。
JR横須賀線が通ったことで分断されたのではないかと思います。
浄智寺は、鎌倉五山第4位の円覚寺派の寺です。
なんだか詳しくはわかりませんが、開山・開基がかなり複雑な寺です。
門前には鎌倉十井甘露ノ井があります。
参道を上って行くと鎌倉では珍しい鐘楼門が見えます。
仏殿は曇華殿と呼ばれ、三世仏が安置されています。

東慶寺
鎌倉尼五山第二位だった寺です。
北条時宗の夫人覚山尼が建立しました。
「縁切り寺」、「駆け込み寺」として知られています。
東慶寺の縁切寺法は、明治に入るまで存在し、
多くの女性が救われたといいます。
現在は尼寺ではありません。

円覚寺前
左側に見える石垣から円覚寺となります。
昔はこの通りに二つの外門が設置されていて、
門内は下馬しなければなりませんでした。
門内を通らず迂回も出来たようで、
その迂回路も石垣の背後に残されています。
右側の白鷺池は国の名勝庭園です。

左に入る道が外門の外側を通る迂回路です。

円覚寺
鎌倉五山第二位。臨済宗の円覚寺派大本山です。
八代執権北条時宗が、元寇の戦死者を弔うために、無学祖元を招いて開きました。

葛原岡神社参道
円覚寺を過ぎると葛原岡への道があります。
http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_14.html

十王堂橋
鎌倉十橋の一つです。
この辺りに十王堂があったため付けられた名ということです。
https://www.yoritomo-japan.com/page138jyuodo-hasi.htm

光照寺
山門のクルス紋で知られています。
鎌倉に入ろうとして北条時宗によって阻止された一遍が、
野宿したという法難霊場でもあります。


 鎌倉手帳



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