投稿

「お塔の窪やぐら」への道(鎌倉の秘境:番場ヶ谷~貝吹地蔵下)

イメージ
北条高時 の首を葬ったという伝説の「やぐら」のうちの一つ 「お塔窪やぐら」(お塔やぐら) は、 六浦道 (金沢街道)の 十二所神社 の少し手前、 滑川 と支流吉沢川に沿って番場ヶ谷に入って行く道の奥にあります。  吉沢川 御坊橋 六浦道 (金沢街道)から入るとすぐに橋があります。 この橋を渡って谷戸の奥に入っていきます。 途中に 瑞泉寺 方面を示す標識がありますが、ここではありません。 しばらく進むと舗装の道は終了しますが・・・ さらにその奥を入っていくと景色が変わってきます。 このような丸太が並んだ橋を渡らなければいけません。 お塔の窪やぐら 3穴からなるやぐら群です。 https://www.yoritomo-japan.com/yagura-otounokubo.htm 中央の五輪塔が 北条高時 の供養塔です。 周りには18基の籾塔と呼ばれる宝篋印塔があります。 https://www.yoritomo-japan.com/yagura-otounokubo.htm お塔の窪やぐら を過ぎると登りです。 倒木などもあってかなり険しい道です。 ここを上りきれば 天園ハイキングコース です。 天園ハイキングコース の 貝吹地蔵 を下った所です。 左がハイキングコースの 貝吹地蔵 方面、 斜め右下が 「お塔の窪やぐら」 への道です。 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html 

朱垂木やぐら(十王岩下~回春院(建長寺塔頭))

イメージ
「朱垂木やぐら」 は、 「百八やぐら」 の西方のやぐら群で50穴ほどのやぐらが存在しています。 その内の一つが天井に紅殻塗の平行線が描かれいるやぐらがあります。このやぐらがいわゆる 「朱垂木やぐら」 と呼ばれるものです。 天園ハイキングコース の十王岩を天園方面に下ったところに 回春院 へと下る道があります。 「朱垂木やぐら」 はその道沿いにあります。 回春院 へ下る道 朱垂木やぐら 朱垂木やぐら は、納骨穴がなく仏殿様式となっていることが特色です。 やぐら群の儀式の場所としての仏殿ではなかったかと考えられています。 紅殻塗 天井には紅殻塗りの平行線が描かれています。 朱塗りの垂木をイメージしたものと考えられています。 位牌の浮彫り 側面には二基の位牌が浮彫りされています。 海蔵寺 に安置されている位牌と同型式のものと考えられることから、このやぐらは室町期に造られたものと考えられています。 光 背 奥の壁には蓮弁型の光背が浮彫りされています。 前には基壇があって仏像が安置されていたものと考えられます。 朱垂木やぐら を下っていきます。 やがて平場になります。 崖の壁には多くのやぐらが存在しています。 やがて十字路になります。 左は西御門の住宅街、右は 回春院 。 正面はちょっとわかりません。 回春院 回春院 は、 建長寺 の 塔頭 の一つです。 回春院 を過ぎると 半僧坊 への参道です。 建長寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138kentyoji.htm

長谷観音から大仏への旧道

イメージ
大仏への旧道 長谷寺 の参道から 大仏(高徳院) への旧道です。 少し行くと 光則寺 の道標です。  光則寺の道標 大仏 はここを真っ直ぐに行くわけですが、 現在は、住宅地となってしまい行き止まりです。 昔の大仏道は、ほんのわずかな距離が残されるのみとなりました。 左へ曲がると 光則寺 です。  鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

十間坂~腰越の古道~

イメージ
十間坂 『太平記』では、1333年(元弘3年)5月18日、 鎌倉を目指す 新田義貞 軍が、 村岡、藤沢、片瀬、腰越、十間坂など50余ヶ所に火をかけたと伝えています。 七里ヶ浜 から腰越を抜けて 龍口寺 へと通ずる道でしたが、 現在は国道134号線から海岸へと下りる通路となっています。 https://www.yoritomo-japan.com/page139jyukkensaka.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

日坂~鎌倉高校前~

イメージ
江ノ電鎌倉高校前駅 明治36年に日坂駅として開業されました。 昭和28年に「鎌倉高校前」と改称されています。 日坂 新田義貞 の鎌倉攻めの際、新田軍が通った坂です。 そのため「新田坂」と呼ばれていましたが、 いつしか「日坂」(にっさか)と呼ばれるようになりました。 鎌倉高校前の庚申塔 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 江ノ電 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enoden.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

亀ヶ谷坂(鎌倉七口:長寿寺~岩船地蔵堂)

イメージ
山ノ内道 の 長寿寺 横の道が 亀ヶ谷坂 の入口です。 亀ヶ谷坂 は、 鎌倉七口 の一つ。 あまりにも急な坂で亀が引き返したという伝説から「亀返り坂」と呼ばれるようになり、それがいつしか「亀ヶ谷坂」と呼ばれるようになったといわれています。 また一説には、 「亀もひっくり返るほどの急坂」であったことから付けられた名とも伝えられています。 いずれにしても、かなりの急坂であるということです。 急坂ですが、整備された道ですので、他の切通と比べれば歩きやすいと思います。 坂の途中に祀られているお地蔵さま。 亀ヶ谷坂 は、 源頼朝 の鎌倉入りの際に使用された道ともいわれています。 各所に切り開かれた道であることが感じられます。 亀ヶ谷坂 には、 建長寺 の僧の保養施設「延寿堂」があったといいます。 (参考: 鎌倉七口:亀ヶ谷坂の延寿堂地蔵尊 ) 今は集合住宅の入口ですが・・・ 昔は「香風園」という鉱泉旅館があったようです。川端康成の『千羽鶴』は香風園で書かれたといいます。 師子王文庫跡 亀ヶ谷坂 には、日蓮信者の田中智学の別荘がありました。宣教のため売却され、その跡地に鉱泉旅館が建てられたそうです。 現在は、「師子王文庫跡の碑」が建てられているのみです。田中智学は、 小町大路 の 日蓮の辻説法跡 を整備した人物です。 (参考: 小町大路の散策(前編) ) 「田中智学の師子王文庫跡」を過ぎれば歩きやすい道となります。そのまま真っ直ぐ行けば 岩船地蔵堂 です。 薬王寺 薬王寺 は、日蓮宗の寺です。 江戸幕府三代将軍徳川家光の弟で駿河大納言忠長の供養塔があります。 岩船地蔵堂 岩船地蔵堂 は、 源頼朝 の娘大姫の守本尊が祀られているお堂です。 ここで扇川沿いの道に突き当たります。 右に行けば 仮粧坂 、左に行けば鎌倉の街です。 (参考: 武蔵大路の散策 ) 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

奇祭 面掛行列~御霊神社例祭~

イメージ
坂ノ下の 御霊神社 の 例祭 は、祭神の鎌倉権五郎景政の命日にあたる9月18日。 神幸祭では奇祭と呼ばれる 面掛行列 が行われます。 囃子連 猿田彦の列 面掛行列 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/goryo-menkake.htm 御霊神社 の面掛行列は、 鶴岡八幡宮 の放生会に行われていた「舞楽面の面掛行列」に倣ったものといわれ、いつの間にか土俗化して現在のような面をつけるようになったとされています。 おかめの腹 「阿亀」の大きなお腹は、 豊年・豊漁の祈願を子を産む形に象徴させたものということです。 また、阿亀には 源頼朝 が身籠もらせた娘の伝説も残されています。 「おかめ」と「とりあげ女」 神輿渡御 御霊神社例大祭