別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年11月19日土曜日

弓矢の道の習わし:武田信光と小笠原長清~承久の乱~


木曽川


『承久記』(慈光寺本)によると・・・

東山道の大将軍は甲斐源氏の武田信光小笠原長清


軍勢が美濃国に到着したときのこと。

長清が

「現世は無常な所である。

いかがか武田殿」

と問いかけると信光は、

「鎌倉が勝てば鎌倉につき、京方が勝てば京方につく

それが弓矢の道の習わしである」

と返したのだとか。


恩賞をもらうために戦うのが武士。

負ける側についていても意味がない。


このような考えを持っていると予想していた東海道の大将軍北条時房は、

「大井戸・河合の渡河に成功したならば、美濃・尾張・甲斐・信濃・常陸・下野六ヶ国を与える」

という書状を信光と長清に送ったのだという。

すると、

信光と長清の東山道軍は、大井戸渡に布陣する京方2万騎を撃破したのだとか。


虚空蔵堂
(美濃加茂市)

合戦場の正確な場所は不明ですが、中山道太田宿(美濃加茂市)の虚空蔵堂辺りが北端と考えられているようです。




武田信光

小笠原長清


北条時房


承久の乱

北条政子の言葉~承久の乱~


後鳥羽上皇








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