別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年11月18日金曜日

義時が泰時に語った戦の心構え~承久の乱~


(京都)



『吾妻鏡』によると、1221年(承久3年)5月22日、19万騎の兵で上洛を開始した幕府軍。

北条泰時は東海道の大将軍として出陣。


『増鏡』によると、北条義時は泰時が出陣するにあたって、泣きながらこう語ったそうです。

「本来の志のとおりに清く死ぬべきである。

人に背を見せたなら、再び親の顔を見ることはないと思え。

今を限りと思え。

賎しい身分ではあるが、この義時は、主君に対してやましい心はまったくない。

だから、無駄な死に方はするな。

心を強く持ち、己に打ち勝つことができたなら、再びこの足柄山・箱根山を越えることができるだろう」


ただ・・・

泰時は、出陣の翌日には鎌倉に戻ったのだといいます。

それは、後鳥羽上皇自ら兵を率いてきた場合の対処方法を問うため。

義時は

後鳥羽上皇に弓を引くなどあってはならないこと。

そのような場面となったら、兜を脱ぎ、弓の弦を切って、降伏するように。

そうでなく、後鳥羽上皇は都におられて、ただ軍兵だけをお遣わしなさったのであれば、命を捨てて千人が一人になるまで戦うように」

と答えたのだとか。




承久の乱

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