前年に昇進した右大臣拝賀の式が終わったあとの出来事でした。
(隠れ銀杏)
鶴岡八幡宮の上宮(本宮)への石段脇には、隠れ銀杏とも呼ばれた御神木が聳え、実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説が残されていました。
平成22年3月10日未明、倒れてしまいましたが、埋め戻された根や、移植された幹からは新たな芽が成長を続けています。
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実朝を暗殺した公暁は、実朝の兄頼家の子です。
三浦義村を乳母夫とし、比企の乱で父頼家が修禅寺に流された後、三代将軍となった実朝の猶子に迎えられています。
1211年(建暦元年)、公暁は鶴岡八幡宮別当定暁の下で出家し、公暁と名乗ります。
園城寺(三井寺)に入室後、1217年(建保5年)に鎌倉に戻って鶴岡八幡宮の別当に就任していました。
秦野市には源実朝の首塚があります。
公暁によって持ち去られた実朝の首が葬られた場所といいます。
実朝を暗殺した公暁は、実朝の首を持って三浦義村邸へと向かう途中、義村の家臣長尾定景に討たれています(参考:久成寺)。
そして、公暁が持っていた実朝の首は、同じく義村の家臣武常晴が拾い上げ、波多野氏を頼って葬ったのだと伝わっています。
源実朝の木製五輪塔
実朝の供養は、導師に退耕行勇が招かれ、木製の五輪塔(写真)が建てられて行われました。
1250年(建長2年)、波多野忠綱が石造に替えたのだと伝えられています。
現在、木製の五輪塔は鎌倉国宝館に寄託されています。
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秦野市の金剛寺は、実朝の首が埋葬されたことがこの寺の始まりとなります。
寺名は実朝の法号「金剛寺殿」にちなむものです。
本堂には源実朝像が安置されています。
源氏の菩提寺勝長寿院では、実朝の亡骸が葬られました。
首は公暁に持ち去られてみつからなかったため、右大臣拝賀式に出掛ける際、御髪上げに奉仕した者に与えた髪の毛が代わりに葬られたそうです。
(京都:大通寺蔵)
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