別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年10月13日金曜日

鎌倉検定で楽しむ海蔵寺

鎌倉検定の過去問と情報!

※太字は鎌倉検定の問題文より。

写真をクリック・タップすると情報ページへ移動します。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 海蔵寺

海蔵寺は1394年(応永元年)の建立。

開山は心昭空外(源翁禅師)、開基は上杉氏定

山号は扇谷山


 底脱ノ井

門前の湧き水は鎌倉十井の一つ底脱ノ井


 海蔵寺仏殿
(薬師堂)

 海蔵寺の薬師如来

鎌倉十三仏詣の霊場の一つである海蔵寺の本尊の薬師如来像は、坐像の胴体部分に、もう一つの薬師の顔を納めた珍しい仏像で、別名啼薬師または児護薬師と呼ばれている。

胎内の像を拝観できるのは、61年に一度とされている。


 海蔵寺の庫裏

江戸時代建立の茅葺の庫裡は、鎌倉の寺院を代表する庫裡建築である。


 海蔵寺のカイドウ

鎌倉の三大カイドウには含まれないが、まだ若木だが枝振りがよく、勢いのある見事な花を枝いっぱいにつける。


 海蔵寺十六ノ井

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~殺生石の伝説~

宮中で、宴を開いていると急に屋敷が鳴動し、帝に侍っていた玉藻前が金色の光を発した。

鳥羽天皇は気絶し、以来重い病にかかってしまった。

玉藻前は実は狐の化身で、これがばれると逃げ去った。

追っ手が那須野で射殺すると、帝の病も快癒した。

ところが、那須野でこの霊が石と化し、その石に触れた生き物はみんな死んでしまう ので、殺生石として恐れられるようになった。

そこで、源翁禅師という禅師号をもつ 海蔵寺の開山心昭空外が経を読みながら鉄の杖で一撃を加えると、法力で殺生石は砕け散り、災いも止んだ。

この伝説がもとで、金槌を「げんのう」とも呼ぶようになったという。


(京都)

京都の真如堂にある石造地蔵尊は鎌倉地蔵と呼ばれ、源翁禅師が叩き割った殺生石の一つで刻まれたものといいます。

江戸時代に鎌倉から真如堂に移されたのだとか。

参考までに・・・

那須野に逃げた狐は、三浦義明の矢で脇腹と首筋を貫かれ、上総広常の長刀でとどめを刺されたのだということです。


 海蔵寺


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 鎌倉検定

 秋の鎌倉

 鎌倉の紅葉


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