※太字は鎌倉検定の問題文より。
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海蔵寺は1394年(応永元年)の建立。
開山は心昭空外(源翁禅師)、開基は上杉氏定。
山号は扇谷山。
門前の湧き水は鎌倉十井の一つ底脱ノ井。
(薬師堂)
鎌倉十三仏詣の霊場の一つである海蔵寺の本尊の薬師如来像は、坐像の胴体部分に、もう一つの薬師の顔を納めた珍しい仏像で、別名啼薬師または児護薬師と呼ばれている。
胎内の像を拝観できるのは、61年に一度とされている。
江戸時代建立の茅葺の庫裡は、鎌倉の寺院を代表する庫裡建築である。
鎌倉の三大カイドウには含まれないが、まだ若木だが枝振りがよく、勢いのある見事な花を枝いっぱいにつける。
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~殺生石の伝説~
宮中で、宴を開いていると急に屋敷が鳴動し、帝に侍っていた玉藻前が金色の光を発した。
鳥羽天皇は気絶し、以来重い病にかかってしまった。
玉藻前は実は狐の化身で、これがばれると逃げ去った。
追っ手が那須野で射殺すると、帝の病も快癒した。
ところが、那須野でこの霊が石と化し、その石に触れた生き物はみんな死んでしまう ので、殺生石として恐れられるようになった。
そこで、源翁禅師という禅師号をもつ 海蔵寺の開山心昭空外が経を読みながら鉄の杖で一撃を加えると、法力で殺生石は砕け散り、災いも止んだ。
この伝説がもとで、金槌を「げんのう」とも呼ぶようになったという。
(京都)
京都の真如堂にある石造地蔵尊は鎌倉地蔵と呼ばれ、源翁禅師が叩き割った殺生石の一つで刻まれたものといいます。
江戸時代に鎌倉から真如堂に移されたのだとか。
参考までに・・・
那須野に逃げた狐は、三浦義明の矢で脇腹と首筋を貫かれ、上総広常の長刀でとどめを刺されたのだということです。
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