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逃げ上手の若君~鶴岡八幡宮のぼんぼり祭~

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鶴岡八幡宮 の ぼんぼり祭 に掲揚されていたアニメ「逃げ上手の若君」の雪洞。 「逃げ上手の若君」とは・・・ 1333年(元弘3年)の 新田義貞 の 鎌倉攻め で滅んだ 北条高時 の遺児・時行のことのようです。 時行は、幕府滅亡後、信濃に逃れていましたが、1335年(建武2年)、諏訪頼重に担がれて幕府再興の挙兵をします( 中先代の乱 )。 鎌倉を占領しますが、 足利尊氏 に攻められ逃亡。 のちに南朝(大覚寺統)に味方して各地で戦いますが、1353年(正平8年)5月20日、捕らえられて、 龍ノ口 で処刑されました。

実朝祭~ぼんぼり祭の最終日は源実朝の誕生日~

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『吾妻鏡』によると・・・ 1192年(建久3年)8月9日、晴れて風も穏やかな日。 朝早くから 北条政子 が産気づきます。 加持は 鶴岡八幡宮 別当の円暁。 祈祷は義慶坊と大学坊など。 鶴岡八幡宮 と相模国の神社仏閣には、馬を寄附して読経させています。 福田寺 〔酒匂〕 平等寺 〔豊田〕 範隆寺〔平塚〕 宗元寺 〔三浦〕 常蘇寺 〔城所〕 王福寺 〔坂本〕 新樂寺 〔小磯〕 高麗寺 〔大磯〕 國分寺 〔一宮下〕 弥勒寺 〔波多野〕 五大堂 寺努寺 觀音寺 〔金目〕 大山寺 靈山寺 〔日向〕 大箱根 惣社 〔柳田〕 一宮 〔佐河大明神〕 二宮 〔河匂大明神〕 三宮 〔冠大明神〕 四宮 〔前取大明神〕 八幡宮 天滿宮 五頭宮 黒部宮 〔平塚〕 賀茂 〔柳下〕 新日吉 〔柳田〕 そして、午前10時頃に男子が誕生。 のちの 源実朝 です。 悪魔払いのため、弓を鳴らす「鳴弦」と、鏑矢を放つ「引目」の儀式が行われます。 北条義時 らは護刀(まもりがたな)を献上しました。 また、 大江広元 らによって刀と馬が献上され、これらが加持祈祷を行った験者や寺社に与えられています。 次に、乳母である 阿波局 が乳を与える役として参上します。 阿波局は、 政子 の妹で、 頼朝 の異母弟 阿野全成 の妻。 そして、御名字定めがあって「千万」と名付けられました。 (一般的に幼名は「千幡」という字が使われているようです。) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり」 8月9日は ぼんぼり祭 の最終日。 白旗神社 では、 源実朝 の遺徳を偲ぶ「実朝祭」が行われます(午前10時から)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 8月10日の鎌倉は功徳の日! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

黒地蔵縁日~8月10日は覚園寺の地蔵盆~

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覚園寺 の8月10日は、地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼(獄卒)に代わって火を炊いたため「黒くすすけている」という伝説が残されている地蔵菩薩( 黒地蔵 )の縁日。 「参拝者の思いや願いを死者のもとへ届けてくれるという日」といわれています。 8月10日は、午前0時に開門。 覚園寺 覚園寺 は、二代執権 北条義時 の建てた大倉薬師堂をその前身とする寺院。 源実朝 の暗殺にかかわる伝説が残された寺でもあります(参考: 大倉薬師堂と戌神将伝説 )。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画! 夏休み江の島計画!

徳道の願いで造立された長谷観音~長谷寺:8月10日は四万六千日~

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長谷寺 の本尊は、徳道の願いによって彫られたという 十一面観音 。 木造では日本最大級。 右手に錫杖を、左手に蓮華の花瓶を持ち、蓮華座ではなく岩座に立つという独特の像で、「長谷寺式十一面観音」と呼ばれています。 伝説によると・・・ 721年(養老5年)、稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師が、一本のクスノキから二体の十一面観音像を彫り上げました。 一体は 奈良の長谷寺 に安置されましたが、もう一体は「有縁の地に出現して人々を救うように!」という願いから、行基によって海に投げ入れられたのだといいます。 その観音像が15年後の736年(天平8年)、三浦半島の長井の浦に流れ着いたことから鎌倉に遷座され、 長谷寺 が創建されたのだと伝えられています。 かきがら稲荷 長谷寺の観音さまは、 牡蠣殻 に導かれてやってきたのだといいます。 奈良の長谷寺 奈良の長谷寺 は、 東大寺 開山の 良弁 の弟子だったという徳道が聖武天皇の勅命により開いたと伝えられる寺。 鎌倉の長谷寺 には、 奈良の長谷寺 の草創と十一面観音造立の由来を描いた 『長谷寺縁起絵巻』 が伝えられています。 四万六千日 四万六千日 は観音様の縁日(8月10日)。 長谷寺は午前4時開門(午前8時まで自由拝観)。 8月10日は朝参り ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画! 夏休み江の島計画!

北条政子創建の田代観音~安養院:8月10日は四万六千日~

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安養院 は、1680年(延宝8年)に焼失した後、比企ヶ谷にあった田代観音堂が移されたことから「田代寺」と呼ばれています。 田代観音堂は、 源頼朝 が 伊豆国 の 蛭ヶ小島 の流人の頃から仕えていた 田代信綱 が建てたと伝えられています。 そして、 安養院 の 千手観音 は、田代観音堂の本尊だった像。 胎内に信綱の守り本尊だった観音像を納めていることから「田代観音」と呼ばれています。 田代信綱の守り本尊という観音像は・・・ 986年(寛和2年)、 東大寺 の僧・奝然(ちょうねん)が宋に渡ったときに手に入れたものなのだそうです。 そして、後三条天皇から第三皇子の輔仁親王→その子の花園左大臣有仁卿→その子の伊豆国司中納言為綱卿→その子の田代信綱に伝わったといわれています。 観音信者であった田代信綱は、持っていた観音像のおかげで戦に勝利することができたとして観音堂の創建を思い立ち、辻堂(藤沢市)にあった千手観音像の胎内に観音像を納め、尊乗上人を開山に迎えて比企ヶ谷に白花山普門院田代寺を創建したのだといいます。 千手観音像は、 恵心僧都 が 江の島 から鎌倉へ向かう途中、辻堂の川で亀に守られていた霊木で彫った像なのだとか。 安養院 安養院 は、 北条政子 の創建と伝えられている寺。 坂東観音巡礼第三番札所。 四万六千日 四万六千日 は観音様の縁日(8月10日)。 安養院 は午前5時開門(午前9時まで自由拝観)。   8月10日は朝参り ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画! 夏休み江の島計画!