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2023鶴岡八幡宮ぼんぼり祭日程表

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2023年の 鶴岡八幡宮 の ぼんぼり祭 は、8月7日(月)から9日(水)までの3日間。 昨年は、 「鎌倉殿の13人」 の出演者の皆さんの雪洞も掲揚されていました。 📎2022ぼんぼり祭~鎌倉殿の13人~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 8月10日の鎌倉は功徳の日! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

柴田勝家とお市の方が自害した北ノ庄城

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越前国の 北ノ庄城 は柴田勝家が築いた城で、九層の天守が聳え、 安土城 に匹敵する巨城だったのだといいます。 勝家は、織田信長が本能寺で横死した後、信長の妹・ お市の方 を正室に迎えます。 しかし、信長の後継者をめぐって羽柴秀吉と対立。 賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れ、 北ノ庄城 で自害しました。 お市の方 も勝家とともに自害しています。 お市の方 には、浅井長政との間に生まれた三人の娘がいました。 三姉妹は 北ノ庄城 を逃れて、のちに長女の茶々は秀吉の側室となって淀殿と呼ばれ、二女の初は京極高次に嫁ぎ(常高院)、三女の江は徳川秀忠に嫁いでいます(崇源院)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

紫式部像~越前市:紫式部公園~

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越前市の 紫式部公園 の紫式部像。 紫式部 は、越前守に叙任された父の 藤原為時 に同行して越前国で暮らしたことがあります。 紫式部公園 は 紫式部が越前国に下向したことを記念して整備されました。 紫式部像の前には平安朝式庭園が再現されています。 紫式部公園 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

織田信長の摠見寺~重要文化財に二王門と三重塔~

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摠見寺 は、織田信長が 安土城 の郭内に創建した臨済宗 妙心寺 派の寺院。 二王門と三重塔以外は焼失してしまっている。 二王門は近江国甲賀郡柏木神社から移築されたもの。 1571年(元亀2年)建立で重要文化財。 金剛力士像は室町時代の作で重要文化財。 三重塔は近江国甲賀郡長寿寺から移築されたもの。 1454年(享徳3年)建立で重要文化財。 安土城 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

紫式部の夫藤原宣孝の御嶽詣~清少納言『枕草子』~

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正暦元年(990年)3月頃、のちに 紫式部 の夫となる 藤原宣孝 は御嶽詣を行います。 清少納言の『枕草子』によると、高貴な身分であっても質素な身なりで参詣するものですが・・・ 「御嶽権現さまは『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって派手な衣装で参詣したのだとか。 吉野から帰る人々は 「このお山で、このような姿の人を見たことがない」 と驚き嘆いたそうですが・・・ 4月1日に帰京し、6月10日頃に、筑前守の辞任で、その代わりに任官されたことで、 「彼の言ったとおりになった」 と評判になったらしい・・・ 金峯山寺 御嶽詣(金峯山詣)は、 吉野 の金峯山に参拝すること。 1007年(寛弘4年)8月11日、 藤原道長 は金峯山( 山上の蔵王堂 )に自らが書写した経を埋納。 翌年、娘の 彰子 が懐妊すると「金峯山の御霊験」と噂されたのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大徳寺の塔頭総見院~織田信長の菩提寺~

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総見院 大徳寺 の塔頭 総見院 は、1583年(天正11年)に羽柴秀吉が 本能寺の変 で横死した織田信長の追善のために建立。 名称は、信長の戒名「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」からのもの。 本尊は織田信長坐像(重文)。 秋の特別公開 2023年10月7日~11月30日 大徳寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆