正暦元年(990年)3月頃、のちに紫式部の夫となる藤原宣孝は御嶽詣を行います。
清少納言の『枕草子』によると、高貴な身分であっても質素な身なりで参詣するものですが・・・
「御嶽権現さまは『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって派手な衣装で参詣したのだとか。
吉野から帰る人々は
「このお山で、このような姿の人を見たことがない」
と驚き嘆いたそうですが・・・
4月1日に帰京し、6月10日頃に、筑前守の辞任で、その代わりに任官されたことで、
「彼の言ったとおりになった」
と評判になったらしい・・・
御嶽詣(金峯山詣)は、吉野の金峯山に参拝すること。
1007年(寛弘4年)8月11日、藤原道長は金峯山(山上の蔵王堂)に自らが書写した経を埋納。
翌年、娘の彰子が懐妊すると「金峯山の御霊験」と噂されたのだといいます。
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