甲斐源氏:武田信義
武田信義像 武田信義 は、甲斐源氏の四代当主・甲斐武田氏の初代当主。 武田信義館跡 甲斐国の巨摩郡武田郷(現在の山梨県韮崎市)に館を構えて武田を名乗ったのだという。 武田八幡宮 武田八幡宮 は、甲斐武田氏の氏神。 信義 はここで元服したのだと伝えられている。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1180年(治承4年)、以仁王が 平家打倒の令旨 を発すると挙兵。 富士川の戦い では平家軍を敗走させている。 当初は 源頼朝 の傘下には入らず活動していたが、のちに武田軍は 一ノ谷の戦い や 壇ノ浦の戦い に従軍して活躍した。 しかし、頼朝から謀反の疑いをかけられて転落。 1186年(文治2年)3月9日、 信義 は謀反の疑いが晴れないまま亡くなったのだという。 武田信義の墓 (願成寺) 願成寺 は 信義 の菩提寺。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ