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2022年2月20日日曜日

後鳥羽上皇(法皇)の崩御と祟りの噂


後鳥羽天皇


後鳥羽天皇は、第82代天皇。

父は高倉天皇、母は坊門殖子。

安徳天皇は異母兄。

源実朝の妻坊門信子は従兄妹にあたる。







平家が安徳天皇と三種の神器を奉じて都落ちしてしまったことから、神器のないままに即位した天皇として知られています。

また、和歌や蹴鞠に秀でていたことでも知られ、『新古今和歌集』を編纂させています。


1198年(建久9年)、土御門天皇に譲位して院政を開始。

1221年(承久3年)、北条義時追討の院宣を下して挙兵しますが、大敗して隠岐に流されました(承久の乱)。


1239年(延応元年)2月20日、配所にて崩御。


この年の12月には三浦義村が急死、翌年1月には北条時房が急死。

この二人には、承久の乱の際、後鳥羽上皇から義時追討の院宣が下されていました。

そのため、後鳥羽上皇の祟りと噂されたようです。


1242年(仁治3年)6月15日には、三代執権の北条泰時が亡くなりますが・・・

泰時の父義時が亡くなったのが6月13日

北条政子が亡くなったのが7月11日

大江広元が亡くなったのが6月10日

承久の乱で朝廷軍が敗れ、後鳥羽上皇が配流された6月・7月に集中していたことから、後鳥羽上皇の怨霊による祟りではないかという噂が流れたのだとか・・・。




後鳥羽上皇






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