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豆まき発祥の伝説と恋の守護神~京都:貴船神社~

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昔、中将定平という高貴な人がいました。 なかなか心にかなう女性が見つからずにいたそうです。 ある時、内裏で扇くらべの催しがありました。 中将は扇に描かれていた女性の絵姿に恋をします。 その女性は、鞍馬の奥にある鬼国の大王の娘乙姫でした。 やがて、鞍馬の毘沙門天の霊言があって中将は姫と出会って結ばれたのですが・・・ 姫に中将を差し出すよう迫る鬼国の大王。 姫は中将の身代わりとなって命を捨てたのだそうです。 それから間もなく、中将の叔母に娘が生まれます。 この娘は、なんと乙姫の生まれ変わりでした。 中将と姫は再び結ばれますが、それを知った鬼国の大王は、節分の夜に二人を襲ってきました。 それに対し中将は、鞍馬の毘沙門天の霊言で豆を炒り、それを鬼軍に打ちつけます。 すると鬼軍は退散していきました。 その後、2人は幸せに暮らし、やがて姫は貴船の大明神に、中将は客神となって、人々の恋の守護神となったのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 貴船神社 鞍馬寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 日本最古七福神 鎌倉との繋がりを求めて。

源頼朝の挙兵に参じた岡崎義実

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岡崎義実像 (平塚市岡崎公民館) 岡崎義実 は、三浦一族の総帥 三浦義明 の弟。 相模国大住郡岡崎(現在の平塚市・伊勢原市)を本拠とした武将。 源頼朝 の 挙兵 に嫡子の 佐奈田与一義忠 とともに駆けつけました。 しかし、頼朝が大敗した 石橋山の戦い では義忠が先陣を切って討死しています。 石橋山での敗戦後、頼朝は 真鶴 から 安房 へと渡りますが、義実は一緒に安房に渡った 頼朝七騎 の一人に数えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

北条泰時の元服式と正妻となった矢部禅尼

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『吾妻鏡』によると・・・ 1194年(建久5年)2月2日夜、 北条義時 の子・金剛(13歳)の元服式が執り行われました。 北条時政 が金剛を連れてくると、 源頼朝 が出御。 大内義信と 千葉常胤 が脂燭で照らす中、加冠の儀式が行われ、金剛は「頼時」と名づけられました。 ※頼朝の死後「泰時」に改名。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1202年(建仁2年)8月23日、 泰時 は、 三浦義村 の娘と結婚します。 この結婚は、元服式で 三浦義澄 が頼朝の側に呼ばれ、孫娘を娶らせる約束をしていたからなのだとか。 二人の間には、翌年長男の時氏が誕生しますが、その後、泰時は義村の娘と離婚。 義村の娘は、佐原盛連に再嫁して光盛・盛時・時連を産み、盛連の死後に出家して矢部禅尼と称しました。 1237年(嘉禎3年)6月1日、矢部禅尼には和泉国吉井郷が与えられ、孫の 北条時頼 が下文を届けています。 1256年(康元元年)4月10日、矢部禅尼死去(70歳)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

八重姫は誰のために矢を放った?~「鎌倉殿の13人」

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「鎌倉殿の13人」第4話では、 八重姫 は、 山木兼隆 が館に居ることを知らせるため、嫁ぎ先の江間郷から狩野川を挟んだ対岸にある 北条館 に矢を放つ。 八重姫はその前に父の 伊東祐親 に 源頼朝 の挙兵を知らせているが、それは 頼朝 の命を救うため。 矢を放ったのも頼朝のためだったのか・・・ もしかすると、 北条義時 のためだったのかも・・・ ところで、 八重姫 は未だに自分が産んだ子 千鶴丸 が 伊豆山権現 にいると信じている設定なのだろうか??? そうだとすると、 千鶴丸 の死を知って自害するという展開も・・・ 実は・・・ 千鶴丸 は殺されていなかったという展開もあるのかも。 頼朝 が鎌倉入りした後、江間郷を手に入れると思われる 義時 。 その頃、 八重姫 が江間郷にいるとは思えないが、江間郷に八重姫と 千鶴丸 を呼び寄せるということもあり得るのかも。 音無神社伝承絵巻 千鶴丸は伊東祐親に殺されたという哀話が伝えられていますが、秘かに遠方へ逃したとの説も伝わっているようです。 頼朝と八重姫ゆかりの 音無神社 には、伊東高校美術部の皆さんが伊東市や住民の皆さんの協力を得て描いた「 音無神社伝承絵巻」が掲示されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

あたみ桜~熱海:糸川遊歩道~2022/01/31

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熱海の糸川沿いの「あたみ桜」が見頃です。 少し早いのかもしれませんが・・・ 熱海港 花に集まるメジロ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ