別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年2月2日水曜日

北条泰時の元服式と正妻となった矢部禅尼


『吾妻鏡』によると・・・

1194年(建久5年)2月2日夜、北条義時の子・金剛(13歳)の元服式が執り行われました。

北条時政が金剛を連れてくると、源頼朝が出御。

大内義信と千葉常胤が脂燭で照らす中、加冠の儀式が行われ、金剛は「頼時」と名づけられました。

※頼朝の死後「泰時」に改名。


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1202年(建仁2年)8月23日、泰時は、三浦義村の娘と結婚します。

この結婚は、元服式で三浦義澄が頼朝の側に呼ばれ、孫娘を娶らせる約束をしていたからなのだとか。

二人の間には、翌年長男の時氏が誕生しますが、その後、泰時は義村の娘と離婚。


義村の娘は、佐原盛連に再嫁して光盛・盛時・時連を産み、盛連の死後に出家して矢部禅尼と称しました。

1237年(嘉禎3年)6月1日、矢部禅尼には和泉国吉井郷が与えられ、孫の北条時頼が下文を届けています。

1256年(康元元年)4月10日、矢部禅尼死去(70歳)。





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