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笹屋うどん跡~源頼朝が食べた・・・~

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市川市本行徳にあった笹屋うどん店は、『東海道中膝栗毛』の作者十辺舎一九も立ち寄ったという人気のうどん店でした。 笹屋うどん店の由来譚を記した六曲屏風によると・・・ 1180年(治承4年)、 石橋山の戦い で大敗をっ喫した 源頼朝 は、 安房国 へと逃げ延びる途中で下総国行徳に漂着し、うどん屋仁兵衛が出したうどんと酒肴で力を得ることができたのだとか・・・ 仁兵衛は、その功績によって笹りんどうの家紋を与えられ、家名も笹屋と改めたのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

参陣した江戸重長~源頼朝の鎌倉入り~

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江戸重長像 (世田谷区:慶元寺) 江戸重長は、武蔵国の国人領主江戸氏の二代当主。 1180年(治承4年)、 伊豆国 で源頼朝が 挙兵 すると、重長は平氏方の 大庭景親 について敵対。 8月26日には、 畠山重忠 ・ 河越重頼 とともに三浦氏の 衣笠城 を攻めて、総帥の三浦義明を自刃に追い込みますが・・・ 石橋山 での敗戦後、 安房国 に渡って再起した頼朝が数万騎を率いて長井の渡しに達すると、 10月4日、 畠山重忠 ・ 河越重頼 とともに頼朝のもとに参陣しました。 江戸氏は、武蔵国豊嶋郡江戸を本拠としていました。 後の 江戸城 の本丸・二の丸周辺に居館を構えていたのだといいます。 慶元寺 慶元寺 は、世田谷区喜多見にある寺院。 1186年(文治2年)、江戸重長が 江戸城 に創建したことに始まります。 室町時代に江戸氏が拠点を喜多見に移したことで、現在地に移転しました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

源頼朝が平家討滅を祈願した浅草寺

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浅草寺 1180年(治承4年)10月、隅田川を渡河して武蔵国に入った 源頼朝 は、 浅草寺 で平家討滅祈願。 銀杏 浅草寺 の御神木の イチョウ は頼朝のお手植えと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 浅草寺 の本尊は秘仏の聖観音像。 源頼朝 が信仰して以後、代々将軍の帰依を受けて発展した浅草寺は、江戸時代に入ると徳川家康によって幕府の祈願所に定められました。 東京都内最古の寺で、唯一の 坂東三十三箇所観音霊場 (第十三番)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 1079年(承暦3年)、 浅草寺 は原因不明の火災で炎上。 この時、御本尊は本堂の西方にあった榎の梢に自ら避難したのだといいます。 それから約70年後、 頼朝 の父 義朝 は、御本尊が避難したという大榎で造った観音像を奉納。 毎年1月に執り行われる「温座秘法陀羅尼会」の本尊とされている「榎観音」がその像と伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

源頼朝の隅田宿を訪れた寒河尼

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東白鬚公園 (東京都墨田区) 墨田区の東白鬚公園は、平安時代末頃の隅田宿があった場所と推定されています。 1180年(治承4年)10月2日、鎌倉を目指す 源頼朝 は隅田宿に布陣。 その宿所に頼朝の乳母 寒河尼 が14歳の末子を連れてやってきました。 寒河尼 が子を側近として奉公させたいと願うと、頼朝は烏帽子親となって元服させたのだといいます。 名は小山七郎宗朝(のちに 朝光 と改められます。)。 寒河尼 は、下野国の有力な武将・ 小山政光 の妻。 頼朝が挙兵したとき政光は大番役で京都にいたそうですが、 寒河尼 の行動で小山氏は頼朝に従うこととなったのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

鷺沼旅館で源頼朝と対面した全成

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鷺沼城址 (習志野市) 1180年(治承4年)10月1日、相模国へ向けての進軍中の源頼朝が宿泊したという鷺沼旅館は、 鷺沼城 ではなかったかと考えられています。 その鷺沼旅館に駆けつけてきたのが頼朝の異母弟全成。 全成は 常盤御前 が産んだ子で 源義経 の同母の兄。 平治の乱 後、 醍醐寺 に入って出家しましたが、頼朝の挙兵を聞いて秘かに 醍醐寺 を抜け出しました。 石橋山の戦い には間に合いませんでしたが、 佐々木定綱 ・ 盛綱 ・ 高綱 の兄弟と出会い、相模国の 渋谷重国 に匿われていたのだと伝えられています。 全成に対面した頼朝は涙を流して喜んだのだとか・・・ 醍醐寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ