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曽我兄弟の墓

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1193年(建久4年)5月28日、 源頼朝 が催した 富士裾野の巻狩り のときに 曽我兄弟の仇討ち 事件が起こります。 曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟は、父 河津祐泰 の仇・ 工藤祐経 の宿所を襲い、見事に討ち取りました。 しかし・・・ 十郎祐成は 仁田忠常 に討ち取られ、五郎時致は捕らえられて梟首されています。 曽我兄弟の墓 (富士宮市) 富士宮市のある曽我兄弟の墓の付近には、 仁田忠常 の陣所が置かれていたのだといわれています。 河津祐泰と曽我兄弟の墓 (伊東市:東林寺) 東林寺 は、 伊東祐親 が我が子河津三郎祐泰の菩提を弔うために創建した寺院。 曽我兄弟の墓 (小田原市:城前寺) 城前寺 は曽我兄弟の菩提寺。 曾我兄弟と虎の墓 (箱根町) 箱根路の五輪塔 は、曽我兄弟と十郎祐成の妾虎御前のもの。 虎御前は、曽我兄弟が仇討を決行した後、 箱根権現 で出家し、長野の 善光寺 へと旅立ったのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

曽我兄弟に討たれた工藤祐経の墓(富士宮市)

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工藤祐経の墓 工藤祐経は 源頼朝 に重用された武将。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ まだ 源頼朝 が伊豆の流人だった1176年(安元2年)、頼朝を慰めるための「狩猟」が催されました。 その狩猟の後、工藤祐経は 伊東祐親 の子河津祐泰を殺害します。 理由は、祐親が祐経の所領を横領したため。 祐経は、その恨みから狩に出た祐親を狙いますが、誤って祐親の子祐泰を殺してしまったのだと伝えられています。 河津三郎祐泰の血塚 血塚 は、河津祐泰が命を落とした場所に供養塚として建てられたのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 殺された河津祐泰には、一萬と筥王という幼い子がいました。 母の再婚相手 曽我祐信 のもとで成長した 兄弟 は、やがて曽我十郎祐成と曽我五郎時致と名乗ります。 そして、親の仇を討つ決意をした兄弟は、1193年(建久4年)、 源頼朝 が催した 富士裾野の巻狩り の時に仇討ちを決行。 5月28日、雷鳴が響き渡る夜、工藤祐経は兄弟によって討たれました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

山門前のアジサイが色づいてきました。~鎌倉:極楽寺~2021/05/27

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山門前のアジサイが色づいてきました。 これは甘茶の花 甘茶は、お釈迦様の誕生日( 花まつり )に 誕生仏 に灌ぐお茶。 極楽寺駅前 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉アジサイの名所 生育・開花・見頃の情報

鎌倉:成就院のイワタバコ2021/05/27

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本堂前のイワタバコが見頃です。 今年は、海の見える参道のアジサイは、開花の前に剪定されてしまいました。 残念ながら咲きません。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉アジサイの名所 生育・開花・見頃の情報