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鎌倉:宇都宮稲荷神社

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宇津宮辻子にある 宇都宮稲荷神社 は、下野宇都宮氏の三代当主 宇都宮朝綱 が屋敷内に勧請した社。 下野宇都宮氏は、初代の 藤原宗円 から 二荒山神社 の神職を兼ねていた家。 朝綱から宇都宮を名乗りました。 二荒山神社 (宇都宮市) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉幕府の跡 1225年(嘉禄元年)、鎌倉幕府は 大倉 から 宇津宮辻子 に移転されます。 さらに11年後の1236年(嘉禎2年)には、 若宮大路 へ移転しています。

小倉百人一首と宇都宮頼綱

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  かわいいフリー素材「いらすとや」より 宇都宮頼綱 は、下野宇都宮氏の五代当主。 1205年(元久2年)、姑の牧の方( 北条時政 の後妻)が三代将軍 源実朝 を廃して娘婿の平賀朝雅を将軍にしようとする企てて伊豆に流されると、頼綱も謀反を疑われてしまいます。 頼綱は弁明書を 北条義時 に提出して出家。 実信房蓮生と名乗ります。 その後、法然の門下となって京都嵯峨の二尊院近くに住み、藤原定家の子為家に娘を嫁がせています。   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~障子の色紙と小倉百人一首~ 1235年(嘉禎元年)5月、頼綱は、定家に山荘の障子を装飾するための色紙の執筆を依頼します。 それに応じた定家は、天智天皇から順徳院までの100人の歌人の和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためました。 これが『小倉百人一首』の原型といわれ、後に鳥羽、順徳両天皇の作品が加えられて補訂を施された和歌集が『小倉百人一首』なのだとか。 宇都宮頼綱の墓碑 (中央) 清巌寺 の頼綱の墓碑には「実信房蓮生法師」と刻まれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河は北条義時

毒蛇を退治した弘法大師と千手観音~大谷寺の伝説~

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  昔、大谷の地には毒蛇が住み、毒水を流し、この水に鳥獣虫魚が触れるとたちまちにして死に、五穀も枯れ、人間も病気になり、最悪の場合は死に至ったのだといいます。 そのため地獄谷と呼ばれていたそうです。 苦しんだ人々は村を捨てようと考えていましたが・・・ 東国を巡行していた弘法大師がこの話を聞きつけます。 そして、毒蛇のいる谷へと入っていきます。 それから10日余り経って谷から出てきた弘法大師は、毒蛇を退治したことを人々に告げて去って行ったのだそうです。 人々が谷の奥に入ってみると、岩壁に光り輝く千手観音が彫ってあったのだといいます。 今、毒蛇は心を入れ替えて白蛇となって弁財天にお仕えしているそうです。   大谷寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河は北条義時

鶴岡八幡宮の古神宝展~鎌倉国宝館~

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  鎌倉国宝館 では、 鶴岡八幡宮例大祭 の時期に合わせて開催される特別展「鶴岡八幡宮古神宝」。 鶴岡八幡宮 を創建した 源頼義 、放生会(例大祭)を始めた 源頼朝 、尼将軍と呼ばれた 北条政子 ゆかりの宝物が展示されています。 会期 8月29日~10月4日 観覧料 一般 400円(300円) 小・中学生:200円(100円) ※( )内は20名以上団体料金 開館時間 9:00~16:30 (入館は16:00まで) 休館日 8月31日(月)、9月7日(月)、14日(月)、23日(水)、28日(月)  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

宇都宮にある樋爪氏の墓~奥州征伐と源頼朝~

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三峰山神社 樋爪氏の墓 宇都宮市の三峰山神社にある 奥州藤原氏 の傍流橋爪氏のものと伝えられている墓塔。 樋爪氏は、樋爪俊衡が現在の岩手県紫波町日詰箱清水あたりに樋爪館を構えてことに始まります。 俊衡は奥州藤原氏初代 清衡 の四男清綱の子。 三峰山神社の案内板によると・・・ 源頼朝 が生贄として 二荒山神社 に奉献した樋爪俊衡と弟の季衡の墓、あるいは、季衡とその子経衡の墓と伝えられているようです。 宇都宮の伝説によると・・・ 奥州で捕虜にされた樋爪一族は、故郷の奥州へ帰りたいと逃亡して、斬り殺されてしまったのだとか・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ただ、『吾妻鏡』の記録では、樋爪俊衡は罪を許され、弟の季衡をはじめとする一族は流罪となっています。 『吾妻鏡』によると、 奥州征伐 が行われた1189年(文治5年)9月4日、志波郡に頼朝軍が到着すると、大軍に驚いた樋爪俊衡は樋爪館に火をかけて逃亡。 頼朝は 三浦義澄 ・ 三浦義連 ・ 三浦義村 に追わせますが、9月15日、俊衡と弟の季衡は降伏して、岩井郡厨河に陣を構えていた頼朝のもとに出頭。 俊衡の子師衡・兼衡・忠衡、季衡の子経衡も一緒でした。 俊衡らの躰をみて哀れに思った頼朝は、 八田知家 に囚人として預けました。 翌日、 八田知家 から俊衡が法華経を唱え続けていることを聞いた頼朝は、俊衡の罪を許し元の領地(比爪)を安堵。 10月19日、奥州から帰る途中の頼朝は、下野国で 二荒山神社 を参拝。 祈願成就に感謝して荘園を一箇所寄進し、俊衡の一族を雑務役としました(一族のうちのだれだったのかは不明)。 12月6日、頼朝は俊衡以外の者について流罪にする太政官布告の発出を上申。 12月18日に宣下があって配流先は以下のとおり。 ○相模国 藤原秀衡の四男で 源義経 の首を鎌倉に届けた高衡 俊衡の子師衡 季衡の子経衡 隆衡(?) ○伊豆国 景衡(?) ○駿河国 俊衡の子兼衡 ○下野国 樋爪季衡 二荒山神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

鎌倉:本覚寺のサルスベリ2020/08/31

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