別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年9月1日火曜日

小倉百人一首と宇都宮頼綱

 


かわいいフリー素材「いらすとや」より


宇都宮頼綱は、下野宇都宮氏の五代当主。

1205年(元久2年)、姑の牧の方(北条時政の後妻)が三代将軍源実朝を廃して娘婿の平賀朝雅を将軍にしようとする企てて伊豆に流されると、頼綱も謀反を疑われてしまいます。

頼綱は弁明書を北条義時に提出して出家。

実信房蓮生と名乗ります。

その後、法然の門下となって京都嵯峨の二尊院近くに住み、藤原定家の子為家に娘を嫁がせています。

 
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~障子の色紙と小倉百人一首~

1235年(嘉禎元年)5月、頼綱は、定家に山荘の障子を装飾するための色紙の執筆を依頼します。

それに応じた定家は、天智天皇から順徳院までの100人の歌人の和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためました。

これが『小倉百人一首』の原型といわれ、後に鳥羽、順徳両天皇の作品が加えられて補訂を施された和歌集が『小倉百人一首』なのだとか。



清巌寺の頼綱の墓碑には「実信房蓮生法師」と刻まれています。










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2022年の大河は北条義時
二代執権北条義時


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