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八坂大神と六角神輿

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千葉常胤 の次男相馬師常が自邸の守護神として勧請したのが始まり。 牛頭天王が祀られていたことから「相馬天王」と称されていましたが、明治の神仏分離によって八坂大神に改称されました。 八坂大神の六角神輿 かつて、八坂大神には鉄の神輿があったそうですが、祭礼のときには血をみないではすまなかったのだそうです。 現在の神輿は、京都の 八坂神社 の 六角神輿 を伝承したもの。 八坂神社の六角神輿 京都の八坂神社の神輿は、四角、六角、八角の三基の神輿。 六角は素戔嗚尊(スサノヲノミコト) 四角は櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト) 八角は八柱御子神(ヤハシラノミコガミ) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河は北条義時

足利直義の墓~鎌倉:浄妙寺~

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足利直義 は、室町幕府を開いた 足利尊氏 の弟。 1338年(延元3年・暦応元年)には、尊氏が征夷大将軍に、直義が左兵衛督に任じられ、「両将軍」と称されました。 しかし・・・ 1348年(正平3年・貞和4年)頃から、、軍事を任せれていた高師直と政務を任せれていた直義が対立するようになります。 当初は二者の対立でしたが、次第に「尊氏 対 直義」となり全国的な争いとなってしまいます。 最終的には直義が敗れ、1352年(正平7年・文和元年)正月5日、鎌倉で尊氏と直義の和睦が成立しますが・・・ それから間のない2月26日、直義は鎌倉の 延福寺 で急逝しました。 尊氏が毒殺したのではないかとも説もあります。 延福寺は 浄妙寺 境内にありました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河は北条義時

葛原岡神社の合鎚稲荷社

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葛原岡神社 の 合鎚稲荷社 は、刀匠綱廣の屋敷跡といわれる場所から2013年(平成25年)に移された社。 綱廣は、鎌倉時代に相州伝を完成させた 五郎入道正宗 の子孫。 正宗の十一代目の子孫は北条氏綱から無量寺ヶ谷に土地を与えられ屋敷を構えたのだといわれています。 その屋敷跡といわれる場所には、2017年(平成29年)に 鎌倉歴史文化交流館 が開館しています。

北鎌倉アジサイ情報!明月院ブルー!2020/06/24

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明月院は、ブルーの世界! 6月いっぱい愉しめそうです。 ハナショウブ は終わっていますが、本堂後庭園は公開されています。 ノウゼンカズラ 沙羅双樹 月笑軒 今年の6月の明月院は平日のみの開門です。 土日は完全閉門ですのでご注意を。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~アジサイの名所~ ~開花・見頃情報~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆