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墨田区向島の三囲神社

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三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、墨田区向島ある宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)を祀る社。 創建年は不明ですが、文和年間(1353~55年)に 園城寺 (三井寺)の源慶が東国遍歴の際に社を改築。 その時、白狐にまたがる老翁の像を得、現れた白狐が神像を三回回ったことから、田中稲荷と呼ばれていた社を三囲神社に改めたのだとか。 ライオン像 三越の旧池袋店から移転されたライオン像。 三越の商標のある胴壺の台座 元禄年間になると、江戸に進出してきた松阪の豪商・三井氏が三囲神社を守護神として崇め、越後屋(現在の三越)の本支店に分霊を奉祀したのだそうです。 三井邸から移された三角鳥居 大国神と恵比寿神 大国、恵比寿は、もと越後屋に祀られていた木像なのだとか。 東武伊勢崎線業平橋駅から徒歩で10分 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

江ノフェス2019

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江の島の秋は「江ノフェス」 詳しくは 「江ノフェス」HP で。 江の島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

黄檗宗の弘福寺~墨田区向島~

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弘福寺は、黄檗宗の禅僧・鉄牛道機が開いた寺。 鉄牛は、明の高僧・ 隠元隆琦 のもとで修行をし、京都宇治の 萬福寺 の造営の尽力。 小田原藩主・稲葉正則の招きで 紹太寺 、弘福寺などを開きました。 山門や本堂の屋根などに中国風(明朝様式)の建築様式をみることができます。 本尊は、釈迦如来。 山号は「牛頭山」。 山号は、建立当時、須佐之男命(すさのおにみこと・牛頭天王)を祀る 牛嶋神社 が隣接していたためなのだといいます。 隅田川七福神詣りの一つ布袋尊も祀られています。 ※本山の萬福寺の 布袋尊 は 都七福神 の一つ。 七堂伽藍が整った寺院でしたが、関東大震災で焼失。 現在の本堂や山門は、1933年(昭和8年)に再建されたもの 鐘楼 弘福寺の梵鐘は、1688年(貞享5年)に鋳造されたもので、墨田区最古といわれています。 鐘楼は、1933年(昭和8年)再建。 咳の爺婆尊 寛永年間の僧・風外慧薫が真鶴山中の洞窟で彫ったという父母の石像。 この石像は真鶴の洞窟に置かれていましたが、稲葉正則が 小田原城 に移し、正則の移封後は弘福寺に預けられたのだそうです。 「咳の爺婆尊」と呼ばれ、風邪除けのご利益があるとして信仰を集めてきました。 口中に病のある者は爺に、咳を病む者は婆に祈願し、全快の折には、煎り豆と番茶を添えて供養するという風習が伝わっているようです。 押上駅から徒歩で15分 東武伊勢崎線東京スカイツリー駅から徒歩で15分 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2019お十夜法要の日程~鎌倉:光明寺~

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十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が唐の清涼山から 比叡山 に伝えたものといわれ、室町時代になって後花園天皇が京都東山の 真如堂 に伝えました。 そして、享徳年間(1452年~55年)、伊勢貞国が 真如堂 に籠もって、10月6日から15日までの10日間にわたって勤行したのが、現在の「十夜法要」のはじまりと伝えられています。 光明寺 の お十夜 は、1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇が後土御門天皇の勅命で清涼殿において「引声阿弥陀経」・「引声念仏」による法要を勤修したことで勅許されました。 「勅願所」の額 そして、光明寺は「関東総本山」の称号を受け「勅願所」とされました。 総門 と 大殿 の「勅願所」の額は、観誉祐崇の書。 光明寺 https://www.yoritomo-japan.com/page135komyoji.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆