源頼朝は、1185年(文治元)、父源義朝の供養のため、(現在の)雪ノ下の大御堂に〔 勝長寿院 〕を創建し、奈良から仏師〔 成朝 〕を招いて、黄金の阿弥陀如来像を造らせて安置し、盛大な儀式を行ったと伝えられる。 (第8回鎌倉検定試験1級) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると・・・ 頼朝 は、亡き父 義朝 の菩提を弔うための寺院を建立するため、その場所を探し回ったそうです。 そして、幕府の東南に神聖な場所を見つけ、1184年(元暦元年)11月26日、地曳始が行われました。 (この寺院が勝長寿院です。) 1185年(元暦2年)5月21日、仏像を造立するため、奈良の仏師・成朝が鎌倉に到着。 1185年(文治元年)9月3日、真夜中の午前0時頃、義朝の髑髏と鎌田正清の髑髏が葬られました。 1185年(文治元年)10月11日、須弥壇後方に描かれた宅間(藤原)為久作の「浄土の瑞相並びに二十五菩薩像」が完成。 壁画には、三日月が描かれていたそうですが、頼朝が「自分の影で自分を隠してしまっている」と文句をつけると、為久は三日月を削り取ってしまったのだとか・・・ 1185年(文治元年)10月21日、成朝が造立した皆金色の阿弥陀仏が安置されます。 そして・・・ 1185年(文治元年)10月24日、勝長寿院の落慶供養が行われました。 北条政子 や一条能保室で頼朝の姉妹・ 坊門姫 らも出席しています。 勝長寿院跡 https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆