別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年9月5日木曜日

源義朝の供養のために創建された勝長寿院~鎌倉検定~

源頼朝は、1185年(文治元)、父源義朝の供養のため、(現在の)雪ノ下の大御堂に〔 勝長寿院 〕を創建し、奈良から仏師〔 成朝 〕を招いて、黄金の阿弥陀如来像を造らせて安置し、盛大な儀式を行ったと伝えられる。

(第8回鎌倉検定試験1級)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『吾妻鏡』によると・・・

頼朝は、亡き父義朝の菩提を弔うための寺院を建立するため、その場所を探し回ったそうです。

そして、幕府の東南に神聖な場所を見つけ、1184年(元暦元年)11月26日、地曳始が行われました。

(この寺院が勝長寿院です。)


1185年(元暦2年)5月21日、仏像を造立するため、奈良の仏師・成朝が鎌倉に到着。


1185年(文治元年)9月3日、真夜中の午前0時頃、義朝の髑髏と鎌田正清の髑髏が葬られました。


1185年(文治元年)10月11日、須弥壇後方に描かれた宅間(藤原)為久作の「浄土の瑞相並びに二十五菩薩像」が完成。

壁画には、三日月が描かれていたそうですが、頼朝が「自分の影で自分を隠してしまっている」と文句をつけると、為久は三日月を削り取ってしまったのだとか・・・


1185年(文治元年)10月21日、成朝が造立した皆金色の阿弥陀仏が安置されます。


そして・・・

1185年(文治元年)10月24日、勝長寿院の落慶供養が行われました。

北条政子や一条能保室で頼朝の姉妹・坊門姫らも出席しています。



勝長寿院跡


鎌倉検定






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