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鎌倉:御霊神社の河津桜2019/02/16

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1月から咲き始めていた 御霊神社の河津桜 ですが、なかなか開花が進まず、満開になるまでもう少しのようです。 梅が咲き始めています。 御霊神社 https://www.yoritomo-japan.com/page136gorei.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原清衡が建てた平泉の中尊寺

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1105年(長治2年)2月15日、奥州藤原氏の祖・ 清衡 は、前九年、後三年の役の犠牲者を敵味方なく供養するため、平泉に 中尊寺 建立に着手します。 それから21年後の1126年(天治3年)3月24日、清衡は中尊寺の落慶供養を行っているようです。 その後の平泉には二代基衡によって 毛越寺 が、基衡夫人によって 観自在王院 が、三代秀衡によって 無量光院 が建立され、奥州藤原氏は栄華を極めます。 しかし、1189年(文治5年)、 源頼朝 が奥州に攻め入り、9月3日、四代泰衡が殺害されたことにより奥州藤原氏は滅亡しました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)9月17日、清衡以下三代が建立した堂舎などの事が記された「寺塔已下注文」(じとういげのちゅうもん)という報告書が提出されます。 それによると 中尊寺 は・・・ 堂塔は40余、禅坊は300余。 清衡が奥六郡の管理を初めて最初に建てられた寺で、白川の関(福島県白河市)から外の浜(青森市)までの道に一町(約109m)ごとに、面に金色の阿弥陀像が描かれた笠塔婆を建て、その中央を計り、その山の上に塔を建てた。 寺院の中央には多宝寺があって、釈迦如来と多宝如来を安置。 塔と多宝寺の中間に道を通して関所を置き、旅人の往来の道とした。 釈迦堂 には、百余体の釈迦如来像を祀った。 両界堂の仏像は木造で金色。 二階大堂 (大長寿院)は、高さは五丈、本尊は三丈の金色阿弥陀仏、脇立の九体の阿弥陀仏は丈六。 金色堂 は、建物全てが金色で、堂内には三つの壇があって全て螺鈿で飾られ、阿弥陀三尊、二天、六地蔵は定朝の作。 鎮守は、南に日吉社を崇敬し、北に白山宮を勧請。 その他、宋の一切経を納める経蔵など・・・ 清衡は、 延暦寺 、 園城寺 、 東大寺 、 興福寺 など国内の寺から、中国の天台山まで、寺毎に千僧供養を行った。 (※千僧供養とは、千人の僧を招いて食事を提供し、法会を営むこと。) そして、死に臨んでは、極楽往生を願う「逆修」を始め、百日目に当たる日に、病気でもないのに、合唱し、念仏と唱えながら、眠るが如く眼を閉じた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると、奥州藤原氏の滅亡後、 中尊寺 をはじめとする寺々について 源頼朝 は、その維持

「東慶寺蒔絵展」開催中~重要文化財2点同時公開~

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葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱 キリシタンの遺物でヤソ会のIHSの記号が描かれています。 南蛮漆芸の代表的遺品。 室町時代の作で重要文化財。 初音蒔絵火取母 松竹梅と鴬の図柄が入った香炉。 「はつね」「幾可」「せよ」の文字があって、源氏物語・初音の帖で、明石の御方が姫君に贈った和歌「年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ」に因むもの。 室町時代の作で重要文化財。 東慶寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138tokeiji.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

釈迦の入滅と沙羅双樹と平家物語

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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者心衰の理をあらわす」 仏教の開祖・釈迦は布教の旅の途中で食中毒になり、 沙羅双樹 の下に身を横たえて、臨終の時を迎えました。 釈迦が最後の説法を始めると、 沙羅双樹 は満開の花をつけ、花びらは釈迦に降りかかります。 しかし、説法を終えた釈迦が入滅すると枯れ果てしまいました。 そんな伝承が『平家物語』冒頭の一節を作り出したのだそうです。 「諸行無常」(しょぎょうむじょう)とは「すべては移り変わる」という意味。 釈迦が入滅した2月15日には、各寺で涅槃会が執り行われます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

釈迦の入滅と西行の歌

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仏涅槃図 (東慶寺) 「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」 (叶うことなら桜の花の咲く春に死にたい。しかも釈迦が入滅した2月15日に。) 源頼朝 に弓馬術を語ったという 西行 の歌です。 西行はほぼ望みどおりの1190年(建久元年)2月16日に亡くなったのだといいます。 西行の歌でもわかるとおり、釈迦が入滅したのは2月15日、満月の日でした。 涅槃図の上方には満月が描かれています。 釈迦が入滅した2月15日には、各寺で 涅槃会 が執り行われます。 涅槃とは・・・ ローソクの火を吹き消すように、欲望の火を吹き消した者が到達する境地なのだそうです。 釈迦は35歳で悟りとひらいたときに涅槃に達していますが、涅槃会の「涅槃」は釈迦の入滅を表し、釈迦が亡くなられたことを意味するそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆