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初詣:鶴岡八幡宮2019/01/02

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鶴岡八幡宮は1月4日まで24時間参拝(1月4日は午後9時まで)。 御判行事   御判行事 は、期間限定の開運厄除けの行事です。 静御前 が舞った若宮回廊跡に建てられた 舞殿 から 本殿 を参拝し、御神印を額に押し当ててもらい祈願します。 破魔矢 鶴岡八幡宮 は弓矢八幡とも呼ばれます。 授与される 破魔矢 は、鶴岡八幡宮を創建した 源頼義 が社殿造営の際に 石清水八幡宮 から賜った破魔弓と破魔矢を奉納したことにちなむもの。 楼門にも破魔矢 強運掴み矢 強運掴み矢 は、おみくじを引いて凶が出てしまったときの強い味方。 凶がでてしまったら、この矢を掴んで凶みくじを納めると凶運が強運に変わるのだとか。 鶴岡八幡宮初詣情報 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatumoude-hatiman.htm 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都は七福神発祥の地 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。 源頼朝が創造した武家の都「鎌倉」とその関係地をめぐった記録 『中世歴史めぐりyoritomo-japan.com』 をよろしくお願い申し上げます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都は七福神発祥の地 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大晦日の大祓~鶴岡八幡宮~

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大祓式 大祓 は、日々の暮らしの中で、知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを祓い去る神事。 鶴岡八幡宮 の大祓式は午前11時・午後1時・午後3時の3回執り行われます。 人形 形代(かたしろ)という人の形をしたもの。 これに予め氏名・年齢を書いて、体を撫でたり息を吹きかけたりして、「人形」(ひとがた)に罪や穢れを移します。 当日参列できない人は、この人形を 鶴岡八幡宮 に届けておけば、 大祓 に参加できます。 人形は海に祓い流されるそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鶴岡八幡宮の初詣情報 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatumoude-hatiman.htm 鶴岡八幡宮正月ぼたん ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都は七福神発祥の地 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉幕府の宗教儀礼~伊豆・箱根の二所詣~

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伊豆・箱根の 二所詣 は、 源頼朝 が始めた鎌倉幕府の行事で 伊豆山権現 (伊豆山神社)・ 箱根権現 (箱根神社)・ 三嶋社 (三嶋大社)を参詣するもの。 『吾妻鏡』の記録によると、始められたのは1188年(文治4年)正月のこと。 いずれの神社も、頼朝が源氏再興を祈願し、頼朝に天下を取らせたパワースポット。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 二所詣 は、身を清めるための二所精進という斎戒沐浴(さいかいもくよく)から始まります。 斎戒沐浴とは、神仏に参詣する前などに、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。 『吾妻鏡』によると・・・ 1191年(建久2年)正月28日、水干を着た 頼朝 は鴾毛の馬に乗って 由比ヶ浜 へ出御。 海水で身を清めた後、白い参拝用の着物に着替えました。 その後、1週間ほど精進して2月4日に二所詣に出発しています。 由比ヶ浜 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると・・・ 1191年(建久2年)2月4日、御前8時頃に御所を出た 頼朝 は、六浦道横大路を西へ進み、まず 鶴岡八幡宮 を参詣しています。 鶴岡八幡宮 参拝を終えた後、 若宮大路 を南へ進み、 稲村ヶ崎 で行列を整えました。 頼朝公行烈之図 二所詣の行列は、多くの御家人が随行し、精鋭300騎の随兵を率いる大規模なものでした。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 当初の経路は「鎌倉→走湯山→三嶋社→箱根山→鎌倉」でしたが、1190年(文治6年)に「鎌倉→箱根山→三嶋社→走湯山→鎌倉」と変更されています。 箱根神社 1180年(治承4年)8月24日、 石橋山の戦い で敗れた 頼朝 は、 箱根権現 別当の行実とその弟永実に匿われました。 源頼義 ・ 為義 ・ 義朝 といった代々の源氏が信仰した神社で、 源義経 が奉納したと伝えられる太刀「薄緑丸」(うすみどりまる)が所蔵されています。 三嶋大社 三嶋大社 は、伊豆に流されていた 頼朝 が源氏再興を祈願して百日間の参籠を行ったという社。 頼朝が挙兵した1180年(治承4年)8月17日は三嶋大社の祭礼の日でした。 北条政子 奉納と伝えられる 梅蒔絵手箱 は国宝です。 源実朝の歌碑 (十国峠) 十国峠 は伊豆や