『吾妻鏡』の記録によると、始められたのは1188年(文治4年)正月のこと。
いずれの神社も、頼朝が源氏再興を祈願し、頼朝に天下を取らせたパワースポット。
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二所詣は、身を清めるための二所精進という斎戒沐浴(さいかいもくよく)から始まります。
斎戒沐浴とは、神仏に参詣する前などに、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること。
『吾妻鏡』によると・・・
1191年(建久2年)正月28日、水干を着た頼朝は鴾毛の馬に乗って由比ヶ浜へ出御。
海水で身を清めた後、白い参拝用の着物に着替えました。
その後、1週間ほど精進して2月4日に二所詣に出発しています。
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『吾妻鏡』によると・・・
1191年(建久2年)2月4日、御前8時頃に御所を出た頼朝は、六浦道横大路を西へ進み、まず鶴岡八幡宮を参詣しています。
参拝を終えた後、若宮大路を南へ進み、稲村ヶ崎で行列を整えました。
頼朝公行烈之図
二所詣の行列は、多くの御家人が随行し、精鋭300騎の随兵を率いる大規模なものでした。
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当初の経路は「鎌倉→走湯山→三嶋社→箱根山→鎌倉」でしたが、1190年(文治6年)に「鎌倉→箱根山→三嶋社→走湯山→鎌倉」と変更されています。
1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いで敗れた頼朝は、箱根権現別当の行実とその弟永実に匿われました。
源頼義・為義・義朝といった代々の源氏が信仰した神社で、源義経が奉納したと伝えられる太刀「薄緑丸」(うすみどりまる)が所蔵されています。
三嶋大社は、伊豆に流されていた頼朝が源氏再興を祈願して百日間の参籠を行ったという社。
頼朝が挙兵した1180年(治承4年)8月17日は三嶋大社の祭礼の日でした。
北条政子奉納と伝えられる梅蒔絵手箱は国宝です。
(十国峠)
十国峠は伊豆や熱海と箱根を結ぶ交通の要所。
「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」
源実朝が二所詣の際に詠んだ歌。
伊豆山神社は、若き日の頼朝と政子が忍び逢った場所としてしられています。
1180年(治承4年)に頼朝が挙兵したときは、伊豆山権現の覚淵が政子を匿っていました。
政子の髪の毛で編まれているという「頭髪梵字曼荼羅」が残されています。
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