お十夜の念仏は比叡山から真如堂、そして光明寺へと伝えられました。
十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が唐の清涼山から 比叡山 に伝えたものといわれ、室町時代になって後花園天皇が京都東山の 真如堂 に伝えました。 そして、享徳年間(1452年~55年)、伊勢貞国が 真如堂 に籠もって、10月6日から15日までの10日間にわたって勤行したのが、現在の「十夜法要」のはじまりと伝えられています。 にない堂 (延暦寺西塔) お十夜の引声念仏は、曲節をつけて声を引き伸ばして唱えるもの。 慈覚大師円仁が中国唐から 比叡山 に伝えたのだとされています。 延暦寺西塔 の にない堂 は常行堂(左)と法華堂(右)が廊下で繋がった建物。 慈覚大師円仁は、常行堂で引声念仏を行ったのだといいます。 真如堂 (京都) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~伊勢貞国~ 伊勢貞国は室町幕府の政所執事を務めた人物。 戦国時代の幕を開けた 北条早雲 は外孫です。 ※早雲の出自については様々な説があるようですが、伊勢盛定の子・盛時というのが定説となっているようです。 ~真如堂に籠った伊勢貞国~ この世の無常を感じた伊勢貞国。 若い頃から阿弥陀如来を信仰していた貞国は、三日三晩、 真如堂 に参籠して、満願の暁には出家することを考えていました。 すると・・・ 貞国の夢に僧が現れて告げます。 「阿弥陀を信じるのなら出家するのは三日待て」 そして、その三日後。 足利義教に仕えていた兄貞経が失脚させられて吉野に謹慎。 貞国があとを継ぐことになりました。 夢告がなかったら、自分は出家してしまい、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところでした。 阿弥陀さまに感謝した貞国は、七日七晩重ねて参籠したのだといいます。 合わせて十日十晩の参籠となります。 これが「お十夜」の始まりだと伝えられています。 「心だにたてし誓ひにかなひなば世のいとなみはとにもかくにも」 貞国の夢枕に現れた僧が残した歌なのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~光明寺のお十夜~ お十夜法要 光明寺 の お十夜 は、1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇が後土御門天皇の勅命で清涼殿において「引声阿弥陀経」・「引声念仏」による法要を勤修したことで勅許されまし