『吾妻鏡』によると 、 1185年(元暦2年)4月21日、平家を 壇ノ浦 に滅ぼした後、鎮西で戦後処理に当たっていた 梶原景時 から鎌倉の 源頼朝 に手紙が届きます。 それによると、 屋島 や 壇ノ浦 の戦いでは吉事の前兆が多くあったのだそうです。 ○その1 景時の家来・海太成光の夢の中に清浄な衣服の男が立文を捧げもって現われます。 これは 石清水八幡宮 の使いと感じた海太成光が文を読んでみると、 「平家は未(ひつじ)の日に死す」 と書いてあったのだとか。 ※平家が滅亡した3月24日は未の日。 ○その2 屋島の戦い のときの源氏軍は約300騎でしたが、平家軍には数万騎の軍勢に見えたのだとか。 ○その3 2年前の長門での合戦のときには大亀が現れます。 兵たち食べてしまおうと思ったようですが・・・ それより前に夢のお告げを受けていた 源範頼 は、大亀の甲羅に札をつけて放してやります。 すると壇ノ浦の戦いのときに、その大亀が源氏の船を先導してくれたのだとか。 ○その4 壇ノ浦の戦い のときには、源氏の屋形船の上に二羽の白鳩が現れます。 それは、平家一門の人たちが入水した時だったのだとか。 ○その5 周防国の合戦では、上空に源氏の白旗が漂っていたのだとか。 不思議なことに、 鶴岡八幡宮 の白鳩は、 源氏池 の 旗上弁財天社 がある島に集まります。 鳩は 八幡神の使い と言われています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆