投稿

鎌倉meets東大寺・・・鎌倉国宝館

イメージ
今日から始まった鎌倉国宝館の特別展「鎌倉meets東大寺-武家の古都と南都をつなぐ悠久の絆-」。 12月4日まで(月曜休館)。 ☆☆☆ 1180年(治承4年)、平重衡によって焼かれた東大寺の再興に奔走したのは、大勧進職に任命された俊乗坊重源。 源頼朝は、重源を積極的に助勢しました。 手向山八幡宮 1195年(建久6年)、東大寺大仏殿の落慶供養に参列した源頼朝は、鎮守八幡宮(手向山八幡宮)から舞楽面と菩薩面を贈られたのだといいます。 菩薩面 南大門 現在の南大門は、重源が総供養に際して再建したもの。 金剛力士像模型 安置されている金剛力士像は、運慶が率いる仏師たちが造立したもの。 上の写真は、2013年に金沢文庫で開催された「特別展 東大寺」に置かれていたもの。 今回の鎌倉国宝館でも吽形像の模型が展示されています。 鐘楼 鎌倉と東大寺再建の関係は、頼朝や重源の没後も続きます。 重源の跡を継いで大勧進になったのは栄西。 国宝梵鐘が吊されている鐘楼は栄西の再建です。 栄西の後には、弟子の退行行勇が大勧進職を勤めています。 📎鎌倉meets東大寺-武家の古都と南都をつなぐ悠久の絆-・・・鎌倉国宝館 ・・・・・・・・・・・・・ 東大寺 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/todaiji/todaiji.htm 鎌倉国宝館 https://www.yoritomo-japan.com/kokuhokan.htm ・・・・・・・・・・・・・

和田義盛の菩提寺・・・三浦:来福寺

イメージ
来福寺は和田義盛の菩提寺。 本尊は阿弥陀如来。 和田義盛は、三浦義明の孫で、源頼朝に従い、平家討伐や奥州征伐に参加した武将 鎌倉幕府では、侍所別当に任じられた。 来福寺 https://www.yoritomo-japan.com/raifukuji.htm 📎相模の武将「三浦一族」

横須賀・清雲寺

イメージ
1104年(長治元年)、三浦義継が父為継の供養のため建立した寺。 本尊は「滝見観音像」。 中が三浦為継(二代)、左右の五輪塔は、為通(初代)と義継(三代)のもの。 三浦九十三騎の墓 文永八年銘の板碑 滝見観音像が清雲寺に移される前の本尊は、毘沙門天立像だったのだという。 清雲寺 https://www.yoritomo-japan.com/seiunji.htm 📎相模の武将「三浦一族」

横須賀:満願寺

イメージ
満願寺は、三浦大介義明の末子十郎義連が建立した寺院。 佐原義連の墓 満願寺 https://www.yoritomo-japan.com/manganji.htm 📎相模の武将「三浦一族」

鎌倉meets東大寺-武家の古都と南都をつなぐ悠久の絆-・・・鎌倉国宝館

イメージ
1180年(治承4年)、平重衡によって焼かれた 東大寺 ですが・・・ その翌年には、大勧進職に 俊乗坊重源 が任命されて復興事業が開始されます。 源頼朝 は、東大寺の再興を助勢しました。 銅造盧舎那仏坐像 1185年(文治元年)には大仏が完成。 大仏殿 1195年(建久6年)には大仏殿が完成。 源頼朝 は、大仏殿の落慶供養に参列しています。 そのときに、鎮守の 手向山八幡宮 から下されたのが、 鶴岡八幡宮 に伝わる 舞楽面と菩薩面 だといいます。 手向山八幡宮 📎南都焼討と東大寺の再興~重源と源頼朝~ 📎鎌倉meets東大寺・・・鎌倉国宝館 ・・・・・・・・・・・・・ 東大寺 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/todaiji/todaiji.htm ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・

2016長谷寺紅葉ライトアップ(予定)

イメージ
11月26日(土)~12月11日(日)。 日没~18:30(18:00閉門) ※長谷寺の紅葉の見頃は、例年ですと12月上旬頃からです。 長谷寺の紅葉 ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・