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鎌倉:光照寺

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光照寺 は、1282年(弘安5年)に鎌倉に入ろうとして 北条時宗 に阻止された時宗開祖の一遍の法難霊場に建てられた寺院。 くるす門 光照寺 の山門には、キリシタン大名だったともいわれる豊後国の岡藩主・中川家の紋が掲げられています。 そのため「くるす門」と呼ばれています。 クルス紋 この紋は十字架を変形させたもので中川クルスと呼ばれています。 光照寺 の山門は、中川家が建てた東渓院の門を移築したのだと伝えられています。 山門前の子育て地蔵 山門背後のおしゃぶきの祠 (咳の神様) ・・・・・・・・・・・ 光照寺

サルスベリの咲く寺・・・鎌倉:成福寺

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成福寺 は、三代執権 北条泰時 の子泰次の創建と伝えられています。 鎌倉では唯一の浄土真宗の寺院。 境内に咲くサルスベリ。 鎌倉幕府滅亡後の 成福寺 は、時の住職が 北条高時 の子・成円だったことから迫害され無住の時代が続きました。 戦国期には九代目の宗全が 後北条氏 から迫害を受け、伊豆国の 成福寺 に逃れたのだと伝えられています。 鎌倉に浄土真宗の寺院が一つしかないのは、 後北条氏 による迫害によって、多くの寺院が武蔵国や三浦半島に移ってしまったからだといいます。 宗全が逃れた伊豆の国市にある 成福寺 は、八代執権 北条時宗 の子・正宗が再興した北条氏の菩提寺です。 忠魂碑は東郷平八郎の揮毫。 親鸞像 亀の窟 ・・・・・・・・・・・ 成福寺

鎌倉:妙法寺(山崎)

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妙法寺 は、もとは山梨県に建てられましたが、大正12年の関東大震災で焼失した後、昭和3年に日宝が鎌倉に再建した寺院。 妙法庚申神社の碑 (寺建立の際に土中から見つかったもの) 地蔵堂 動物供養のための猫や牛の石像も置かれています。 中興の日宝像(左)と二世の碑地光像 七面堂 日蓮宗で、法華経を守護する神とされる女神・七面天女が祀られています(毎年9月18日に開帳されるそうです。)。 ・・・・・・・・・・・ 妙法寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page140myohoji.htm

鎌倉:塩釜神社

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塩釜神社 は、陸奥国一之宮の鹽竈神社の分霊を祀る社。 神社の前を流れる柏尾川 柏尾川の対岸には 玉縄首塚 があります。 玉縄首塚まつり の時には、塩釜神社前の通りに露店が建ち並びいます。 塩釜神社 https://www.yoritomo-japan.com/page140siogamajinjya.html

2015玉縄首塚まつり(予定)

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今年の 玉縄首塚まつり は8月22日(土)。 玉縄首塚 https://www.yoritomo-japan.com/page140kubituka.htm 玉縄首塚 には、1526年(大永6年)、鎌倉に攻め入ってきた安房の里見実堯との戦いで亡くなった者が葬られています。 玉縄首塚まつり は、土地の人たちによって続けられてきた供養の祭で、現在では、水陸遭難者や殉国の士の追善供養も行われています。 例年ですと墓前祭の後、柏尾川で灯籠流しがあるのですが、今年は行われないようです。 玉縄首塚まつり https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/tamanawa.htm

2015鎌倉宮例祭

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鎌倉宮 は、鎌倉で悲運の最期を遂げた 護良親王 を祀る神社です。 護良親王は後醍醐天皇の皇子。 打倒鎌倉幕府の戦いで活躍しますが、1334年(建武元年)、 足利尊氏 と不仲となり、鎌倉に幽閉されてしまいます。 そして、翌年起こった 中先代の乱 の折、尊氏の弟・ 直義 によって暗殺されました。 鎌倉宮の例祭は、護良親王の命日に執り行われます。 ・・・・・・・・・・・ 鎌倉宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041kamakuragu.htm

夏目漱石が描いた夏の由比ヶ浜

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夏目漱石の小説『こゝろ』には、明治後半の夏の由比ヶ浜の様子が描かれています。 古いくすぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へおりると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。 ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。 そのなかに知った人を一人ももたない私も、こういうにぎやかな景色の中につつまれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たして、そこいらをはね回るのは愉快であった。 ・・・・・・・・・・・ 鎌倉の海水浴場 https://www.yoritomo-japan.com/umi-natu.htm 鎌倉花火大会