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「一寸法師」発祥の地~住吉大社~

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住吉大社は『一寸法師』発祥の地。 昔、子のいない老夫婦がいました。 住吉の神にお祈りすると子ができした。 しかし、一寸しかない小さい子でした。 一寸法師と名付けられた子は、やがて、武士になるために京へ。 お椀の船に箸の櫂で、住吉津から細江川を下って大阪湾に出て、淀川を上って行きます。 腰には針の刀を帯びていました。 京に着いた一寸法師は、ある家で働くことになりました。 ある時、家の娘と宮参りをしていると、鬼が現れて娘をさらおうとします。 一寸法師は鬼と戦いますが、鬼に呑み込まれてしまいます。 しかし、針の刀で鬼の腹の中を刺すと・・・ 堪えきれなくなった鬼は一寸法師を吐き出し、山へと逃げて行きました。 その時、鬼が打出の小槌を落して行ったのです。 一寸法師は、打出の小槌を振って、体を大きくし、娘と結婚しました。 金銀財宝も打ち出して大そう出世したのだそうです。 住吉大社 https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/sumiyosi-taisha.html ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五所御前と石舞台・・・住吉大社

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五所御前 住吉大神が降臨した聖地。 五大力 玉垣の中に敷かれた砂利の中から「五」・「大」・「力」と書かれた小石を集めてお守りにすると心願成就のご利益があるのだとか。 石舞台 住吉大社 の 石舞台 は、 四天王寺 の 石舞台 、厳島神社の平舞台とともに「日本三舞台」の一つに数えられます。 卯之葉神事の際に舞楽が奉納されます。 ・・・・・・・・・・・ 住吉大社 https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/sumiyosi-taisha.html

源頼朝寄進の神輿がある誉田八幡宮・・・羽曳野市

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誉田八幡宮 は、応神天皇を主祭神とする神社。 古くより応神天皇陵の南に鎮座していました。 応神天皇陵 (誉田御廟山古墳) 拝殿 現在の拝殿は、豊臣秀頼が再建に着手しますが、未完成のまま滅亡してしまったため、徳川家光が引き継いで完成させたものだといいます。 恵比須社 神馬 姫侍稲荷社 菅原道真公御座石と朝鮮国王奉納灯籠 当宗社(まさむねしゃ) 放生橋 国宝神輿 鎌倉時代の塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうみこし)は 源頼朝 の寄進。 南大門 江戸時代まで神宮寺の興国寺がありましたが、現在では南大門がその面影を残しています。 誉田八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/konda-hatiman.html

住吉大社の反橋

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住吉大社 のシンボル・・・反橋(そりはし)。 石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものと伝えられています。 川端康成の『反橋』には・・・ 「反橋は上るよりも・・・ おりる方がこはいものです。 私は母に抱かれておりました。」 と描かれています。 長さ:約20m 幅:約5.8m 中央部の高さ:4.4m 最大傾斜は約48度 反橋は・・・ 罪や穢れを祓 い清めるための橋。 地上と天上を結ぶ架け橋で、虹に例えられてきました。 ・・・・・・・・・・・ 住吉大社 https://www.yoritomo-japan.com/sumiyosi-taisha.html

ウサギの手水と角鳥居・・・住吉大社

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ウサギの手水 住吉大社 の第四本宮の祭神・神功皇后が祀られたのが卯歳(うのとし)、卯月(うづき)、卯日(うのひ)だったことから、ウサギの口から水が注がれています。 住吉鳥居 住吉大社 の本殿入口に建てられた鳥居は、柱が円柱ではなく四角柱が特徴です。 そのため角鳥居とも呼ばれています。 ・・・・・・・・・・・ 住吉大社 https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/sumiyosi-taisha.html

住吉大社の国宝本殿

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住吉大社 https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/sumiyosi-taisha.html 住吉大社 は摂津国一宮。 1195年(建久6年)、 東大寺 の 大仏殿 落慶供養に参列するため上洛していた 源頼朝 は、 住吉大社 で 流鏑馬 を催したと伝えられています。 住吉造の四棟の本殿は、全て国宝。 第一本宮 第二本宮 第三本宮と第四本宮 背面から見た本殿 第一本宮背後にある高倉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 住吉大社 https://www.yoritomo-japan.com/oosaka/sumiyosi-taisha.html