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横浜中華街周辺の歴史散策

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旧花園橋の親柱 (延平門の近く) 卵形下水道管 (中土木事務所) 麻里布丸の錨 (エスカル横浜前) 日本洋裁業発祥顕彰碑 (元町・中華街駅3番出口付近) みなとみらい線「元町・中華街駅」 壁面は婦人衣服裁縫所「ビンセンド商会」の外観をイメージしたもの。 横浜天主堂跡 (朝陽門近く) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横浜中華街 http://www8.plala.or.jp/daisho/yokohama/tyukagai.html

横浜:ベイスターズ通り

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ベイスターズ通りは、横浜市庁舎前の尾上町1丁目交差点から、国道133号線の本町1丁目交差点の間の道。 横浜ベイスターズ日本一記念モニュメント「煌」 もともとは、「関内仲通り」という名称でしたが、1998年(平成10年)に横浜ベイスターズが日本一となったことから、「ベイスターズ通り」と呼ばれるようになりました。 モニュメント「煌」(きらめき)には、当時の選手たちの手形ははめ込まれています。 神奈川県電気発祥の地 横浜ベイスターズのモニュメントの近くには、「神奈川県電気発祥の地」の碑があります。 1890年(明治23年)、横浜共同電灯会社がこの地に石炭火力発電所を建設し、初めて市内700軒に電力の供給を始めました。 碑に描かれているのは当時のエジソン式直流発電機。

横浜:大桟橋通り

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~大桟橋通りを散策~ 横浜公園 横浜中華街 玄武門 旧居留地消防隊地下貯水槽遺構 (消防救急発祥の地) 横浜都市発展記念館 卵形下水道管 (横浜都市発展記念館) 横浜市瓦斯局ガスタンク基礎 (横浜都市発展記念館) 国内最古のガス管 (横浜都市発展記念館) 神奈川台場の石 (横浜都市発展記念館) レストランかをり ホテル発祥の地 (レストランかをり) 電話交換創始之地 電話交換創始の地 開港広場 日米和親条約締結の地 レンガ造りマンホールと下水管 横浜開港資料館 シルクセンター 大さん橋 大さん橋を支えた螺旋杭 ~横浜の歴史散歩~

山下清画伯の横浜の今昔・・・マリンタワー

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横浜マリンタワーの 山下清画伯モザイク壁画。 今 (1961年(昭和36年)当時の横浜) 昔 (開港当時の横浜) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横浜マリンタワー http://www8.plala.or.jp/daisho/yokohama/marine-tower.html

神奈川運上所跡と横浜税関

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神奈川運上所跡 http://www8.plala.or.jp/daisho/yokohama/unjyosho.html 1859年(安政6年)、横浜開港に伴って関税業務や外交業務などをあつかうために設置された施設。 1872年(明治5年)に全国の運上所の名称が税関と変更されています。 初代横浜税関本庁舎 2代目 現在の横浜税関本庁舎 http://www8.plala.or.jp/daisho/yokohama/yokohama-zeikan.html

横浜三塔物語・・・大さん橋・日本大通り

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三塔を同時に見ることができると願いが叶うという 横浜三塔物語 。 大さん橋 より 日本大通り より

ヘボン博士邸跡~横浜地方合同庁舎前~

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ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)は、横浜開港とともに来日した宣教師で、ヘボン式ローマ字の創始者なのだそうです。 横浜開港の際に外国人宣教師の宿舎となったのが神奈川区の成仏寺。 ヘボンは成仏寺に3年間仮寓し、医療活動を始めました。 これが横浜近代医学の始まりだといわれています。 1862年(文久2年)、横浜居留地38番に移転し、日本初の和英辞典の編纂、聖書辞典の編纂など日本文化の開拓に力を尽くしました。 1949年(昭和24年)、その邸跡に碑が建てられています(横浜地方合同庁舎前)。 ヘボン博士山手居住地跡