東大寺開山の良弁と鎌倉の伝説
聖武天皇が創建した奈良の 東大寺 。 開山に迎えられたのは良弁(ろうべん)。 東大寺 良弁は伊勢原市の 大山寺 を開いたとも伝えられる僧で、一説には相模国の出身だといいます。 染屋時忠邸跡碑 (鎌倉) 鎌倉の由比ガ浜にある「染屋時忠邸跡碑」によれば・・・ 染屋時忠 は藤原鎌足の四代目の子孫に当たり、奈良 東大寺 を開いた良弁の父であるといいます。 東大寺二月堂 東大寺 に伝わる伝説によれば・・・ 良弁の両親は、観音菩薩に願ってやっと子を授かりますが、その子は金色の鷲にさらわれ行方不明となってしまいます。 あるとき、 興福寺 の義淵が 春日神社 に参詣しようとすると、途中の杉の梢に赤子をみつけました。 その子が、のちに 東大寺 を開いた良弁だったといいます。 二月堂 の前の「良弁杉」は、そのいわれの木と伝えられています。 塔ノ辻 (鎌倉) 鎌倉にも「染屋時忠の娘が鷲にさらわれて・・・」という伝説が、 塔ノ辻 をはじめとする各所に残されています。 ~参考~ 染屋時忠 の先祖だという藤原鎌足は、鎌倉の地名の由来ともいわれる「鎌槍伝説」を残した人物。 「鎌槍伝説」は、 鶴岡八幡宮 と 浄妙寺 に伝えられています。 大臣山 (鶴岡八幡宮) 鎌足稲荷 (浄妙寺) 鎌足の子不比等は平城遷都のあった710年(和銅3年)に奈良 興福寺 を創建。 興福寺 不比等の子武智麻呂、房前、宇合、麻呂の兄弟は、奈良時代に政権を握り「藤原四兄弟」と呼ばれました。 不比等の三女光明子(光明皇后)は734年(天平6年)に鎌倉最古の寺といわれる 杉本寺 を、不比等の次男房前は736年(天平8年)に 長谷寺 を創建したと伝えられています。 杉本寺 長谷寺 そして、鎌足の四代目の子孫という 染屋時忠 は、710年(和銅3年)に鎌倉最古の神社といわれる 甘縄神明神社 を創建したと伝えられています。 甘縄神明神社 時忠 は藤原四兄弟のうちの誰かの子なのでしょうか・・・。 長谷寺 を創建したという房前と時忠の関係はどういうものなのでしょう。 染屋時忠 という人物が実在したのかどうかも不明なのだそうです。