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円覚寺塔頭龍隠庵で甘酒をご馳走に・・・2013/01/19

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円覚寺 塔頭の 龍隠庵 。 選仏場 と 居士林 背後の高台にある寺院。 本尊は聖観音。 今日は、甘酒をご馳走になりました。 餅が天日に干されていました。 龍隠庵からの円覚寺境内 鎌倉手帳

北鎌倉~残雪とロウバイ:円覚寺・東慶寺・浄智寺~2013/01/19

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円覚寺 の 山門 (参考: 円覚寺の雪景色 ) 居士林 の ロウバイ 黄梅院 の ロウバイ 東慶寺 :露座の釈迦牟尼とショウブ田 (参考: 東慶寺の雪景色 ) 参道の ロウバイ 咲き始め・・・見頃はまだ先です。 浄智寺 の客殿 曇華殿 前の ロウバイ ほとんどがまだ蕾。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉のロウバイ 鎌倉手帳

鎌倉:初観音2013/01/18

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1月18日は、新年となって初めての観音さまの縁日。 坂東札所 第四番の 長谷寺観音堂 前 十一面観音像の足元で読経が行われていました。 経蔵 の屋根には先日降った雪 散策路からの海は青 お地蔵さんの背後の海も青 坂東札所 第一番の 杉本寺 苔の石段のツバキ 和尚さんが入堂し 初観音大護摩供 が始まりました。 本尊が開帳されます。 鐘もつかれます。 鎌倉手帳

雪が残る神苑ぼたん庭園・・・見頃です。2013/01/18

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1月14日の大雪の名残がある 鶴岡八幡宮 の 神苑ぼたん庭園 。 「正月ぼたん」 が見頃です。 鎌倉手帳

幕末と鎌倉

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砲台が置かれた小動岬と稲村ヶ崎 小動岬 稲村ヶ崎 幕末の 小動岬 と 稲村ヶ崎 には異国船監視のための見張り番所が置かれ、砲台となっていました。 長州藩や会津藩などが沿岸の警備を行っていたといいます。 小動岬の 小動神社 は、 源頼朝 に仕えた佐々木盛綱が近江の八王子宮を勧請して創建した社で、風もないのに揺れる「こゆるぎの松」と呼ばれる松があったことから、「小動」(こゆるぎ)の名が付いたといわれています。 小動岬の展望台から見た 江の島 稲村ヶ崎 は、鎌倉攻めを行った 新田義貞 の龍神伝説が残された地。 稲村ヶ崎からの展望 は、かながわの景勝50選 吉田松陰と瑞泉寺 松蔭吉田先生留跡碑 明治維新の指導者で長州藩の吉田松陰は、1854年(安政元年)、下田で密航を企てますが失敗し、捕らえられます。 その直前、松蔭は 瑞泉寺 を訪れ、獄中でその時のことを思い出していたといいます。 瑞泉寺 瑞泉寺 は、 夢窓国師 が開いた臨済宗の古刹。 関東十刹の一位という格式をほこり、 本堂 に安置されている千手観音像は徳川光圀の寄進と伝えられています。 本堂背後の庭園 は、 夢窓国師 の作庭で国の名勝に指定されています。 広木松之助と上行寺 広木松之助の墓( 上行寺 ) 1860年(万延元年)3月3日、攘夷派を弾圧してきた大老井伊直弼が襲撃されました(桜田門外の変)。 襲撃した者の中に広木松之助(水戸浪士)がいました。 襲撃後、松之助は材木座に逃れ、 上行寺 の住職を頼って匿ってもらったといいます。 桜田門外の変からちょうど2年後の3月3日に自害しました。 英国人殺傷事件と下馬 下馬 1864年(元治元年)11月20日、 下馬 付近で江ノ島・鎌倉見物にきていた英国人軍人ボールドウィン少佐とバード中尉の二人が殺傷されるという事件が起きました(鎌倉事件)。 事件を起こしたのは、攘夷浪士の間宮一と清水清次。 二人は逃げる途中、諏訪邸の諏訪の池で刀の血を洗い流したといいます(参考: 諏訪神社   旧御用邸門 )。 二人は、その後逮捕され処刑されています。 ※この事件の2年前、横浜の生麦では、島津久光の行列に乱

永福寺跡三堂基壇の見学会

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鎌倉市のページ によれば、復元工事が進められている 永福寺跡 の三堂(二階堂・薬師堂・阿弥陀堂)の建物基礎が見学できるようです。 2013年1月25日(金)午後2時00分~(雨天決行。降雪時は中止) (※事前申込みは不要) 永福寺跡 :昨年12月16日の写真 永福寺 は、1192年(建久3年)に 源頼朝 が創建した幻の寺院。 翌年には阿弥陀堂が、さらにその翌年には薬師堂が完成しました。 復元想像CG (製作:湘南工科大学:案内看板より) 永福寺跡 は、 世界文化遺産の候補地 です。 世界文化遺産候補21の史跡

鶴岡八幡宮の節分祭2013予定

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立春の前日に行われる 節分祭 。今年は2月3日。 鶴岡八幡宮 では、午後1時より始まります。弓の弦を鳴らし、その音で悪鬼邪霊を追い払う 「鳴弦の儀」 も執り行われます。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html