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鎌倉一の本堂と山門・・・光明寺

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光明寺 は、四代執権 北条経時 が然阿良忠を招いて佐助ヶ谷に開創した 蓮華寺 がそのはじまりと伝えられています。 光明寺 は関東における念仏道場の中心として栄えました。 10月には 「お十夜法要」 が盛大に行われます。 本堂(大殿) かつては然阿良忠像が安置された開山堂でした。鎌倉で最大の九間堂です。 https://www.yoritomo-japan.com/komyoji-ooden.htm 阿弥陀三尊 善導大師と弁財天 法然上人と如意輪観音 山門(三門) 鎌倉一の大きさを誇る山門です。 鶴岡八幡宮 の表門だったともいわれています。 https://www.yoritomo-japan.com/komyoji-sanmon.htm 天照山の額 釈迦三尊像 秋葉権現例祭 坂ノ下海岸 坂ノ下海岸 からも 光明寺 の山門と本堂がよく見えます。 光明寺 https://www.yoritomo-japan.com/page135komyoji.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

ナデシコの花・・・東慶寺

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なでしこジャパン は、見事にワールドカップに優勝しました。 おめでとうございます。 鎌倉のどこかでナデシコの花を見たような気がしましたので、過去の写真を眺めていましたら、 東慶寺 で撮った「カワラナデシコ」の写真がありました。 「ナデシコ」、「ヤマトナデシコ」と呼ばれる花で、古くは「常花」(とこなつ)とも呼ばれ、『源氏物語』の巻名にもなっているということです。 2008年7月27日の撮影です。 東慶寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138tokeiji.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

補陀洛寺~鎌倉材木座の観音霊場~

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平安時代の中期頃から浄土信仰が盛んになります。 はじめは、阿弥陀仏の西方浄土が人々の信仰を集めますが、次第に南の補陀洛浄土への信仰が盛んになります。 補陀洛寺 1181年(養和元年)、 源頼朝 の祈願所として創建されたと伝えられています。 開山は、 頼朝 が伊豆の流人時代から交流のあったという 文覚 。 https://www.yoritomo-japan.com/page135fudarakuji.htm 「補陀洛」(補陀落)には、観音菩薩の浄土という意味があるそうです。 平安時代も後期になると、南の海には「補陀洛山」というのがあって、そこに行けば浄土の中で安楽できるという信仰が広まっていたといいます。 熱心な法華経信者だったという 源頼朝 は、補陀洛信仰にあわせて、鎌倉の東南に位置する海辺を観音霊場としたのでしょうか・・・。 補陀洛寺 には、 頼朝 自作のものといわれる木像や、 文覚 が書いたとされる 頼朝 の位牌が残されています。 文覚 の裸形像もあります。 また、平宗盛が最後まで持っていたという「平家の赤旗」が残されていることで知られています。 旗には「九万八万軍神」とあり、平清盛が書いたものといわれているそうです。 ~補陀落渡海~ 「補陀落渡海」とは、生きながら補陀洛浄土を目指して海に出ることです。 『吾妻鏡』は、1233年(天福元年)3月7日、下河辺行秀が補陀落渡海を行ったと伝えています。 行秀は、那須野の巻狩りで頼朝に大鹿を射るよう命じられますが、外してしまったことを恥じ、遁世していました。 智定房と名乗った行秀は、この日、30日分の食料を屋形船に積み、外から釘で密閉された状態で熊野灘から船出したといいます。 熊野は、西方の極楽浄土、東方の瑠璃浄土、南方の補陀洛浄土の地であるとされ、「蟻の熊野詣で」といわれるほどに参拝者が多かったそうです。 1218年(建保6年)には 北条政子 も熊野参詣に出掛けています。 8月には、樹齢150年ともいわれる サルスベリ の古木が花を咲かせます。 補陀洛寺 https://www.yoritomo-japan.com/page135fudarakuji.htm 鎌倉観音巡礼三十三ヶ所

夏の材木座海岸2011/07/17

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材木座海岸 は、飯島岬から 滑川 河口までの海岸です。 飯島岬の西にあることから西浜とも呼ばれてきました。 源頼朝 が 鶴岡八幡宮 を造営するときに、この浜から材木が陸揚げされたといわれています。 今日は、富士山も見えました。 富士山には、まだ雪が残っています。 朝早い時間なので、まだ海水浴客もまばらです。 今年も湘南の海は熱くなりそうです。 鎌倉の海 https://www.yoritomo-japan.com/umi.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

妙本寺のノウゼンカズラ2011/07/17

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ノウゼンカズラは、中国から伝わった花なのだそうです。 漢字では、「凌霄花」と書かれます。霄(そら)を凌ぐ花です。 ノウゼンカズラの密を求めて虫たちがやってきます。 毒があるといいますが、虫たちの様子を見ているとそうでもなさそうです。 妙本寺 の静かな境内と、夏の暑さと、ノウゼンカズラの鮮やかさは・・・ なんとなく懐かしさを感じます。 二天門 とノウゼンカズラがとてもよく似合うのですが、 現在、 二天門 は工事中です。 鎌倉のノウゼンカズラ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/nouzenkazura.htm 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

記主庭園の紅蓮2011/07/17/・・・光明寺

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光明寺 の 記主庭園 は、小堀遠州の作庭といわれています。 「記主」とは、開山然阿良忠の諡号です。 植えられているハスは「錦蕊蓮」(きんずいれん)。 7月23日、24日には「観蓮会」が行われます。 鎌倉のハス http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/hasu.htm 記主庭園 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/komyoji-kishu.htm 光明寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page135komyoji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

源平池のハス2011/07/17・・・鶴岡八幡宮

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源平池 は、 鶴岡八幡宮 の社前にある神池。 『吾妻鏡』によれば、1182年(寿永元年)、 大庭景義 らの奉行によって造営された池です。 伝説によると・・・ 北条政子 の願によって造営された池だともいわれています。 『新編鎌倉志』によれば、東の池(源氏池)の三つの島と、西の池(平家池)の四つの島は、三=産(源氏)と四=死(平氏)を表現しているのだそうです。 『新編相模国風土記稿』には、「東の池(源氏池)には白蓮を、西の池(平家池)には紅蓮を植えて源平の色を表していた」と記されているようです。 現在は、紅白のハスが一緒に咲いています(平家池は白蓮ばかりかもしれません・・・。)。 源平池 と呼ばれるようになったのは江戸時代のことのようです。 いつ頃からハスが植えらたのかわからないようですが、ハスは仏教と関係の深い花ですので、きっと極楽浄土をイメージした池だったのでしょうね。 鎌倉のハス https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/hasu.htm 源平池 https://www.yoritomo-japan.com/genpeiike.htm 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html