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裏大仏

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裏大仏 葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース からの 鎌倉大仏 です。 大仏さまの先は相模湾。 当たり前の話ですが・・・。 鎌倉の大仏さま http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_23.html 高徳院 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136kotokuin.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

四条金吾邸址~収玄寺~

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江ノ電の 長谷駅 から大仏方面に向かうとすぐにある日蓮宗の 収玄寺 。日蓮信者の四条金吾という鎌倉御家人の屋敷跡に建てられました。 四条金吾邸址の碑は、東郷平八郎の揮毫 四条金吾は、名越流の北条光時(江間光時)に仕えたという武将で、熱心な日蓮信者でした。 本名は「頼基」。左衛門尉だったので、唐名で「金吾」と呼ばれていたそうです。 寺名は、四条金吾の法名「収玄院日頼」にちなんだもの。 石碑を揮毫した東郷平八郎は、 日露戦争で連合艦隊を率いた大日本帝国海軍元帥です。 日蓮宗信者であったともいいます。 ~収玄寺は、季節の花がたくさん植えられた「花の寺」です。~ 収玄寺 https://www.yoritomo-japan.com/page136shugenji.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

長谷寺の経蔵・・・2

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長谷寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136hasedera.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

今泉不動と陰陽の滝~鎌倉~

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今泉の不動堂は、弘法大師(空海)の創建と伝えられています。 今でも「今泉不動」と呼ばれ親しまれています。 今泉山一心院稱名寺 は、不動堂の別当を務めていました。 不動堂 稱名寺 の本堂奥の石段を上ると不動堂です。 堂の背後には、大日如来像と三十六童子が置かれています。 大日如来は不動明王のもう一つの姿、三十六童子は菩薩に従う人々を表したものなのだそうです。 陰陽の滝 諸国を遍歴していた弘法大師は、鎌倉の金仙山に辿り着きました。 すると男女の仙人が現れて、 「不動明王を彫って村人の迷いを救うように」 と告げたといいます。 弘法大師は、不動明王と大黒天を彫って、山の上に堂を建て祀りました。 そして、村人とともに日々不動明王の前で祈っていると・・・ 不動明王と弁天に姿を変えた仙人が再び現れ、 「村人は水に困っているので水が出るよう祈るように」 といって姿を消しました。 弘法大師は、岩肌に二箇所の穴を掘ります。 そして、三日間祈り続けました。 すると穴から水が湧き出し二本の滝となったと伝わっています。 男 滝 大きい方の滝を「男滝」といいます。高さ3メートル。 女 滝 小さい方の滝を「女滝」といいます。高さ1.2メートル。 この伝説によって、金仙山(きんせんざん)という名が今泉山(きんせんざん)と書かれるようになり、そこから、土地の名の「今泉」(いまいずみ)が生まれたといわれています。 本堂 勢至丸像 弁天堂 大日如来 三十六童子 称名寺 https://www.yoritomo-japan.com/page140shomyoji.htm