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二の鳥居・三の鳥居と歴史遺産の段葛

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鶴岡八幡宮 から南へ一直線に延びる 若宮大路 。その中心に一段高く土が盛られた道があります。これが、日本に唯一残された遺構の 「段葛」 です。 かつては、由比ヶ浜( 一の鳥居 )まで続いていたといわれていますが、現在は二の鳥居から三の鳥居までの約500メートルが残されています。 二の鳥居前の 「鶴岡八幡宮の碑」 日露戦争の英雄、東郷平八郎の筆によるものです。 二の鳥居と狛犬 二の鳥居手前には、昭和36年に奉納された白色セメント造の狛犬が置かれています。 かなり大きな狛犬です。 日本一の大きさという宣伝もされているようですが・・・???疑問です。 二の鳥居は、1668年(寛文8年)、徳川四代将軍家綱によって寄進された石造の鳥居でしたが、関東大震災によって倒壊したため、現在は鉄筋コンクリート造です。 神幸祭の御旅所 二の鳥居は、9月の 神幸祭 の御旅所です(参考: 鶴岡八幡宮例大祭 )。 応神天皇・比売神・神功皇后の三基の神輿が二の鳥居の下に安置され、神事の後、「八乙女の舞」が奉仕されます。 神幸祭: http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_06.html 段葛の碑 二の鳥居から 鶴岡八幡宮 までの 若宮大路 は、中央の一段高い 段葛 と両脇の車道の三つに分けられています。 段葛 (だんかずら)の意味については多説あって定説というものがありません。 「置道」とか「置石道」などと呼ばれることもあるようで、古くには 鶴岡八幡宮 への「千度詣りの道」という意味から、「千度壇」とか「千度小路」とも呼ばれていたそうです。 安産祈願の道 1182年(寿永元年)、 源頼朝 は、妻 政子 の安産祈願のために 鶴岡八幡宮 の参道を整備します。 その参道というのが 「段葛」 だといわれています。 それは「 若宮大路 じゃないのか・・・?」というような疑問もあるかと思います。 「 若宮大路 とは?」あるいは「 若宮大路 と 段葛 の違いは?」という疑問も・・・ いろいろと調べてみたのですが、 どうやら「 若宮大路 と 段葛 に特別の区別はされていない」ようです。 (どうもはっきりとしない調査結果ですが・・・。)

力餅家~坂ノ下御霊神社前~

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坂ノ下の 御霊神社 の入口にある和菓子の老舗です。 力餅家 名物 「権五郎力餅」 は、餅を餡(あん)でくるんだ「あんころ餅」です。 添加物を使用していないため消費期限はその日限りです。 (求肥入りの餅もあります。) https://www.yoritomo-japan.com/sangyo/tikaramoti.htm 道 標 店の前の道標には「五霊神社鎌倉権五郎景政」と刻まれています。 御霊神社 は、もとは平氏五氏を祀った神社であったことから、 五霊神社と呼ばれていたそうです。 現在は、 御霊神社 が正式の名称ですが、祭神の鎌倉権五郎景政の名をとって、 「権五郎神社」 とも呼ばれています。 ~力餅の元は、御霊神社の手玉石~ 御霊神社の手玉石と袂石 力餅家の力餅は、この手玉石を模して作られているそうです。 祭神の鎌倉権五郎景政が手玉にとり、袂に入れたとされる石です。 左:手玉石(28貫)105キロ 右:袂石16貫(60㎏) https://www.yoritomo-japan.com/page136gorei.htm ~奇祭:面掛行列と福面まんじゅう~ 面掛行列 御霊神社 の 面掛行列 (9月18日の 例祭 に日に行われます。)は、 力餅家の前から出発して、 星の井通り を 虚空蔵堂 まで進み折り返します。 力餅家の「福面まんじゅう」は、この面掛行列の面を模したものなのだそうです。 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/goryo-menkake.htm 御霊神社 https://www.yoritomo-japan.com/page136gorei.htm 力餅家 https://www.yoritomo-japan.com/sangyo/tikaramoti.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

こ寿々の~わらび餅:由比ガ浜大通り~

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「わらび餅」というのは、「ワラビ」(蕨)からとれる「デンプン」(わらび粉)から作られた和菓子です。 (※「蕨」は山菜として知られているシダ類の一種です。) こ寿々 本来、「くず餅」とは原料が違うものですが、「わらび粉」という希少な原料を使用するため、葛粉を使ったものが「わらび餅」と呼ばれていることも多くなっています。 最近では、サツマイモなどのデンプンを使用して「わらび餅」として販売されているものもあるようです。 こ寿々では、希少な わらび粉 を使用した出来たての わらび餅 を賞味できます。 一般的に、きな粉と黒蜜をかけて食べます。 お土産も可能です 。 「豆かん」や「ところ天」も人気があります。 長谷小路の散策(下馬~長谷寺) http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_9479.html 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

北鎌倉:建長寺山門の大扁額

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建長興国禅寺の額 扁額 の「建長興国禅寺」の文字は、後深草天皇の宸筆と伝えれています。 平成4年の山門大修理の際の調査によると、 題字の底板は・・・ 横2メートル、縦2.66メートル 額縁は・・・ 横2.65メートル、縦4メートル という巨大なものです。 裏面から「天文八(1539年)亥六月廿三日、雪下大工左衛門大夫信吉」という墨書が発見され、年代と鎌倉大工の作であることが明らかとなりました。 建長寺 の 山門 は、平成17年7月22日に国の重要文化財に指定されました。 現在の 山門 は、1775年(安永4年)、建長寺大工の河内長兵衛が棟梁を務め建設されています。 三間二重門としては東日本最大の規模を誇ります。 そして、「建長興国禅寺」の大扁額をかけるため、上層に軒唐破風が設けられたのだといいます。 それまでの 山門 では、この大扁額をかけることができませんでした。 建長寺山門 https://www.yoritomo-japan.com/kentyoji-sanmon.htm 建長寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138kentyoji.htm

源頼朝墓背後の尾根道を散策

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源頼朝墓 背後の尾根を辿って行くと 天園ハイキングコース に出ることができます。 源頼朝墓 源頼朝は、その死後、自らが生前に建てた持仏堂に葬られたといいます。 以後、持仏堂は法華堂と称されていました。 頼朝の墓は、「法華堂跡」とされる地に建てられています。 現在の層塔は、江戸時代に島津重豪によって建てられたものです。 https://www.yoritomo-japan.com/page041hokedoato.htm 頼朝墓の左側の崖の向こう側は、二代執権 北条義時 の法華堂跡です。 頼朝墓の背後の山の尾根 からの眺めです。 すぐ下には、島津忠久・大江広元・毛利季光の「やぐら」があります。 かすかに見える鳥居は、やぐらへの石段に設けられている鳥居です。 尾根を進むと・・・ 下にテニスコートが見えます。 鎌倉尼五山 第一位の 太平寺 があった場所と伝えられている場所です。 だんだん道と呼べるものがなくなってきました。 かなりの断崖です。 そして、難所を越せば、平場に出ます。 この平場を右に上れば、「朱垂木やぐら」を経て「十王岩」へ行くことができます。 朱垂木やぐら: https://www.yoritomo-japan.com/yagura-shudaruki.htm 十王岩: https://www.yoritomo-japan.com/kodou-jyuouiwa.htm 平場を左に下ると西御門の街へ下る道と、建長寺塔頭の回春院へ下る道があります。 建長寺塔頭回春院 訪れる人も少ない寺ですが・・・、 大覚池の伝説と作家葛西善蔵の墓があることで知られています。 https://www.yoritomo-japan.com/tera-kentyotatyyu-kaishunin.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html