別冊『鎌倉手帳』

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2015年3月20日金曜日

源頼朝像と信濃善光寺・甲斐善光寺

源頼朝像


甲斐善光寺に伝えられる「木造源頼朝坐像」は、「文保3年」(1319年)の銘があるもので、源頼朝の最古の彫像といわれています。

銘文には、頼朝の命日である「正治元年正月13日」という日付も確認されていて、頼朝の彫像であることは間違いないとされています。

また、「尼二位」の文字も読み取れることから北条政子が造らせた像ではないかとも考えられているようです。

※政子は1218年(建保6年)に従二位に叙せられています。




頼朝像は、もとは信濃の善光寺にあったもの。

善光寺は1179年(治承3年)に焼失し、源頼朝が再建しました。
1197年(建久8年)には自らも参詣しているのだといいます。

その後、善光寺は1268年(文永5年)と1313年(正和2年)に火災に見舞われています。

これらの火災で頼朝像も被害を受けたものと思われますが、銘の「文保3年」(1319年)は、その修理が完成したことを示すものとも考えられているようです。

北条政子が造らせたという説と併せて考えれば、頼朝が亡くなった1199年(正治元年(建久10年))から政子が亡くなった1225年(嘉禄元年)の間に造像されたものなのかもしれません。




何故甲斐善光寺に頼朝像があるのでしょうか・・・。

甲斐善光寺は、武田信玄上杉謙信との川中島の戦いで焼失してしまうことをおそれ、信濃善光寺の本尊(善光寺如来)を甲斐国に移してきたことに始まります。

その際、多くの寺宝とともに頼朝像も信濃から甲斐にやってきたのでしょう。

武田氏が滅びると、善光寺如来は各地を転々とした後、信濃に戻りますが、頼朝像はそのまま甲斐に残ったということなのでしょうか。

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