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紫式部と源氏物語と閻魔大王

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紫式部像 閻魔法王を本尊としている 千本ゑんま堂 (引接寺)には 紫式部 の供養塔があります。 紫式部供養塔 供養塔は、あの世で不遇に陥っている 紫式部 を救うために建てられたのだとか。 紫式部 は 光源氏 を主人公とした 『源氏物語』 を書きましたが・・・ 仏教では架空の物語を作るということは「嘘をついてはいけない」という五戒の一つ「不妄語戒」に当たるのだといいます。 平安時代末期になると・・・ 地獄に堕ちたという 紫式部 と 『源氏物語』 の読者を供養する法会が行われるようになります( 源氏供養 )。 千本ゑんま堂 千本ゑんま堂 は、現世と冥途とを行き来して地獄の主・閻魔と交流があったいう小野篁が建立したゑんま堂を始まりとしています。 紫式部の墓 紫野 にある 紫式部の墓 の横には小野篁の墓があります。 小野篁の墓 人々は紫式部を地獄から救うため、閻魔大王と交流していたという小野篁の墓を紫式部の墓の横に移したのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

亡者が四十九日目に出会う泰山王と泰山府君と福禄寿

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泰山王 (鎌倉:圓應寺) 泰山王 は亡者が四十九日目に出会う王。 道教の神である泰山府君がもとになっています。 泰山府君は陰陽道では最高神とされ、京都の 清浄華院 に伝わる『泣不動縁起』には 安倍晴明 が泰山府君祭を修して重い病に罹った僧侶を救ったことが描かれています。 泰山府君は、やがて仏教の十王信仰と結びつき泰山王が誕生します。 📎安倍晴明の占いと師弟を救った三井寺の泣不動 赤山禅院 (京都) 泰山府君を日本に伝えたのは 比叡山 の円仁。 泰山府君(赤山大明神)を祀る 赤山禅院 は円仁の遺命で建立された平安京の鬼門の守護神。 福禄寿神お姿みくじ (赤山禅院) 泰山府君を人格化したのが幸福・高禄・長寿の徳を与えられた福禄寿神。 赤山禅院 の 福禄寿 は 都七福神 の一つ。 赤山禅院 の本尊・赤山大明神は、天では福禄寿神・地では泰山府君として、万物の命運を司るとされています。

新居の閻魔さま~圓應寺の閻魔縁日~

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8月16日は 圓應寺 の 「閻魔縁日」 。 閻魔大王 「閻魔縁日」 ​は、地獄のふたが開けられ、全ての餓鬼が解放される日。 圓應寺 圓應寺 は、1250年(建長2年)に長谷に創建され、 新居閻魔堂 と呼ばれていたようです。 新居閻魔堂跡碑 (材木座) その後、材木座に移され、1704年(宝永元年)に山ノ内に移されたのだといいます。 そのため、「新居の閻魔さま」といえば 「閻魔縁日」 といわれてきました。 圓應寺 の 閻魔大王 は「子育て閻魔」とも呼ばれ、縁日には子どもの無事成長を祈願する参拝者も多くいるといいます。 ※閻魔縁日に参加するには事前予約が必要です(一般参拝不可)。

一条天皇と藤原定子と敦康親王と源氏物語

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大河ドラマ「光る君へ」では、まひろ( 紫式部 )が 『源氏物語』 を書き始めそうな段階。 『源氏物語』 の主人公・ 光源氏 は 桐壺帝 の第二皇子。 母は 桐壺更衣 。 諸説あるようですが、桐壺帝のモデルは 一条天皇 、桐壺更衣のモデルは 藤原定子 とも・・・ 桐壺帝 は、多くの妃の中から桐壺更衣を寵愛していました。 一条天皇 が 藤原定子 を寵愛していたのと似ています。 桐壺更衣 は、第一皇子(のちの 朱雀帝 )を産んだ 弘徽殿女御 をはじめとする他の妃たちの嫉妬や嫌がらせで、 光源氏 が3歳の時に心労により病死。 藤原定子 は 一条天皇 の第一皇子・ 敦康親王 を産みますが、出産の翌年に亡くなっています。 そして 光源氏 は・・・ 美男だったという 敦康親王 がモデルなのかも。 源氏物語石像 (光源氏と紫の上) 光源氏 の最愛の妻・ 紫の上 は 藤原彰子 がモデルともいわれます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆