鎌倉検定~源頼朝の鎌倉入りと大倉御所~
「源氏ゆかりの地である鎌倉を根拠地とするように源頼朝に進言したと『吾妻鏡』に書かれている人物はだれか」 答えは 千葉常胤 。 源頼朝 は、1159年(平治元年)の 平治の乱 で 平清盛 に敗れ、翌年、 伊豆国 へ流されました。 伊豆で約20年間の流人生活を送った頼朝は・・・ 1180年(治承4年)、 源氏再興の挙兵 をします。 石橋山の戦い で敗れてしまいますが、 安房国 に渡って再挙。 参陣を命じられた 千葉常胤 は・・・ 「今の居所は、守りやすい土地ではないし、先祖の由縁の地でもない。速やかに相模国の鎌倉へ向かわれるべき」 と進言したのだといいます。 「大倉に居を構え、武士として初めて幕府を開いた人物はだれか」 答えは 源頼朝 。 千葉常胤 の進言を受け入れた 源頼朝 は、大軍を引き連れて 鎌倉入り を果たしました。 鎌倉に入った頼朝は、先祖の 源頼義 が建てた 鶴岡八幡宮 (由比若宮)を遥拝し、亀谷の父 義朝 の旧蹟( 壽福寺 辺り)を訪れています。 頼朝は義朝の旧跡に御所を置こうと考えていたようですが、土地が狭く、 岡崎義実 が建てた亡き父の御堂もあったことから、大倉の地を選んだのだといいます。 大倉幕府跡 (大倉御所跡) 源頼朝 亡き後、 大倉御所 の主には、二代将軍 頼家 ・三代将軍 実朝 と尼将軍と呼ばれた 北条政子 がなっています。