六日の菖蒲~源義経の屋島の戦い~
源義経像 「六日の菖蒲」とは、時機に遅れて役に立たないことのたとえ。 菖蒲は5月5日の 端午の節句 に用いるもので、5月6日では間に合わない・・・。 『平家物語』には、 屋島の戦い に遅れて到着した 梶原景時 が 源義経 に「六日の菖蒲」と嘲笑されたことが語られています。 『吾妻鏡』によると、1185年(元暦2年)2月18日、暴風の中を五艘の船(150騎)で摂津国を出航した 義経 は、通常では3日かかるところを翌朝には阿波国に上陸。 19日には 屋島 に拠る平家軍を攻めて敗走させ、21日には志度寺に籠る残党を服従させました。 一方、 景時 らの百四十余艘は、22日になって 屋島 に到着したのだとか。 平安時代の 端午節会 では、軒に菖蒲や蓬を挿し、菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉で作った「薬玉」(くすだま)を柱に下げたりしていたようです。 端午節会は 清少納言 の『枕草子』や 紫式部 の 『源氏物語』 にも描かれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆